石岡繁雄の志を伝える会(Sodality of Inheriting the Spirit of Shigeo Ishioka)

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登山家 石岡繁雄の一生





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―お知らせ―

 故石岡繁雄(2006年8月15日没)は、ナイロンザイル事件関係などの多くの資料を遺しました。遺された資料は、後に「石岡繁雄の志を伝える会」(2009年6月発足)の会員となる少数の関係者の手で整理分類・デ-タ化されて、2012年に名古屋大学大学文書資料室に寄託し「石岡繁雄文書資料」として保管されています。また遺品などは同年名古屋大学博物館に寄贈し「石岡コレクション」として保管されています。
 この度、東海国立大学機構(名古屋大学)大学文書資料室のフェッブサイト内のオンライン資料検索のペ-ジに、「石岡繁雄文書資料」の第一回公開分、目録詳細情報が公開されました。以下のアドレスをクリックしてください。文書資料室の「検索システム」に移動します。
http://133.6.182.70/search/
「検索条件入力」でキ-ワ-ドに「石岡繁雄 目録詳細情報」と入力して「検索」をクリックしてください。「5063件該当しました」と表示されます。その中のご覧になりたい資料名をクリックしていただきますと、資料の詳細がご覧いただけます。一番下の「PDF」項目蘭の資料ナンバ-をクリックしていただきますとPDFファイルで元デ-タがご覧いただけます。
「PDFなし」は個人情報の関係でデータは非公開です。また、「小分類」・「備考1」項目欄に記載の「個人名」は同様に非公開個人名です。
尚、目録詳細情報の中でお知りになりたい事がありましたら、「検索結果一覧」のキ-ワ-ドに例えば「ナイロンザイル事件」など入れていただきますと、絞り込まれてお知りになりたい事だけが表示されます。
 今回の公開は、「石岡繁雄文書資料」の内の1/4程度です。今後も「石岡繁雄の志を伝える会」は全ての資料の詳細目録作成のために努力し続けますので、是非ご支援くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

         2021年4月7日 
           「石岡繁雄の志を伝える会」代表 石岡繁雄次女 石岡あづみ記







 石岡さんは名アルピニストであると共に、
志を持った数少ない登山家の一人である。
私は氏の実弟の遭難事件をモデルにして『氷壁』という小説を書いているが、私に『氷壁』の筆を執らしめたものは、事件そのものよりも、寧ろその悲劇を大きく登山界にプラスするものであらしめようとする氏の志に他ならなかったと思う。屏風岩完登の壮挙は日本山岳界の大きい事件であり、言うまでもなく氏の不屈な闘志によって成就されたものであるが、氏によって為されたということが大きい意義を持つものではないかと思う。
氏は記録を造る人でなく、山に志を刻む人
であるからである。

(石岡著書<屏風岩登攀記> 井上靖氏「刊行によせて」より





切れた命綱の謎に挑む

 実弟の滑落死をきっかけに

  敗戦後まもない昭和22年の夏、10代の少年とともに北アルプス穂高屏風岩正面岩壁初登攀をなしとげ、その後も三重県鈴鹿市に本拠をおく岩稜会をひきいて数々の岩壁を踏破、名著といわれる写真集『穂高の岩場』1.2.巻を完成させた登山家で応用物理学者の石岡繁雄は、『屏風岩登攀記』に次のように記している。
 「山は、その美しさと厳しさが織りなす綾錦を形成し、無数の美徳と教訓を提供してくれているはずであり、・・・・・・それが私の山への期待でもありました。しかしながら私の歩いた道には、そういうものよりはむしろ、暗くて悲しい人間の葛藤や、ナイロンザイル事件のように、社会との闘いといった全く異質のものが、大きな位置をしめております」
 いったい何ゆえに、彼の山体験はかくも人間社会の葛藤の影を負うことになったのか。それは「高度成長のためには犠牲もやむなし」という風潮にたいし、真実をつきつけ続けた者の宿命でもあったのだろうか。
 石岡の一生を決定づける事件が昭和30年に発生した。同年正月2日、彼の実弟・若山五朗が、岩稜会の三人のパ-ティで厳冬期のアルプス前穂高岳東壁を登攀中に数十センチ滑落、麻ザイルより数倍強いとされて登山界に急速に普及しつつあったナイロンザイルの、予想だにせぬ切断により墜死したのである。

 隠ぺいされた「命綱」の弱点

 ほかにも事故があいついでいるのを知った石岡は「ナイロンには未知の欠陥があるのでは」と考え、自家製の装置で実験を開始した。
 そして4月29日、登山用具の権威で日本山岳会関西支部長の篠田軍治・大阪大教授指導のもと、蒲郡市にあるザイルメ-カ-で公開実験が行われることになった。
 ところが、多くの登山関係者やマスコミの注目を集めた大がかりな実験では、ナイロンザイルは圧倒的な強さを示したのだ。
 穂高の遺体捜索現場でその報に接した石岡は「実験はインチキだ、手品だ」と叫んでいたという。膨大な装置のほんの小さな中枢部分たるエッジに、1ミリほどの丸みがつけられていたのである。彼ら岩稜会のメンバ-は、企業、学者、マスコミ報道がつくりあげた「ナイロンは強い」という神話により遭難原因を疑われ、蒲郡実験の結果は登山界で権威のある『山日記』にも掲載されて、ナイロンザイルに命を託した多くのクライマ-が、その後も墜落死事故を繰り返す要因となった。これが井上靖の小説『氷壁』のモデルとなり、映画化もされた「ナイロンザイル事件」の核心である。
 昭和初期から30年代にいたる日本の登山界は、国内の岩壁を征服し終え、技術革新の成果をいち早くとりいれて海外の山に目を向けており、足元の問題に取り組もうとする人々は稀有であった。公害を発生させながら成長続ける産業界に歩調を合わせるかのように、自然の征服を謳歌しつつあった。
 そのような趨勢のただ中で、ナイロンザイルの神話に、石岡繁雄は自己の専門領域をとおして闘いを挑んだのだった。

 製造物責任法の思想を先どりする成果

 一方で彼は、メ-カ-や日本山岳会にたいして、ナイロンザイルの安全限界を明示させるべくいくたびも公開質問状をつきつけ、他方で欠陥そのものを分析し、私財をなげうって高所安全研究所を設立(昭和58年)、アルピニストの命を守るにはどうすべきかを探究し続けた。
 それは、自らが買い与えた保証付ザイルで死んだ弟への血を吐くような想いと、専門家はつねに社会的責任に自覚的であらねばならぬという、体験から学んだ覚悟に支えられていた。
 彼が半生をかけた成果は国の機関をうごかし、昭和50年6月、登山用ロ-プの強制力をもった安全基準の世界初公布、55年の転落死防止装置の完成へとつながり、そこから災害時のビル脱出装置、障害者介助機具の開発などに結実していったのである。
 バッカスというあだ名で山仲間から呼ばれている石岡の、どこかしら土くさい朗らかさからは、日本全体が浮き足だって生きてきた時代に、虚仮の一念のようにひとつの問題と格闘してきた者だけがもつ、高山のダケカンバのような風貌が感じとられる。

NHK名古屋放送局開局70周年記念出版 <人物で語る 東海の昭和文化史> 川角 信夫氏著より」





―ちょこっと解説―

「石岡繁雄の志を伝える会」とは…
 
石岡繁雄(1917年-2006年)の没後、石岡の遺した膨大な資料などの整理・分類・デ-タ化作業をしていた仲間が2009年に結成した会です。現在、会員数は11名と少ないのですが、ご高齢の岩稜会員に代わって、言わば縁の下の力持ち的な作業チ-ムです。石原國利氏が会の顧問として加わってくださっています。石岡資料などを名古屋大学に寄贈寄託した後、「氷壁を越えて」と言う大規模な企画展を名大博物館で行っていただきました。その後、「氷壁を越えて」シリ-ズとして、各地で4回の展示を我が会の手で行いました。名大文書資料室に寄託された「石岡繁雄文書資料」は特定歴史公文書等に指定されて、内閣府の管理下に置かれていますが、その資料の目録作成作業は、伝える会のボランティア作業として現在進行中です。
皆さま!これからも「石岡繁雄の志を伝える会」をよろしくお願いいたします。


2021.6.22更新





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