6月9日(水)

中の湯温泉−大町山岳博物館−鷹狩山展望台−塩の道博物館−帰宅



7:00

中の湯温泉より穂高を望む

朝風呂にゆっくり入ったのに、足が痛いよぉ(>_<)
ロボット状態の私です。

皆様は大丈夫みたい!
すごいなぁ…



7:30

朝食



8:30

遠く岡山から参加してくださった後藤さんは
一足先に帰られます。
ご苦労様でした。またお会いしましょうね。




9:00

中の湯温泉駐車場にて



松本から農道を抜けて
一路大町へ



10:50

大町山岳博物館着



新しい展示のピッケルとアイゼン



ナイロンザイル事件の展示は
以前と全く同じでした。



「しっかり置いてくださっているけど
本の売れ行きはどうかしら?」



喫茶「こまくさ」にてコーヒータイム

 このコミック「岳」の
 映画化で、この地方は
 湧いていました。
 山岳博物館も撮影場所
 になったとのことです。
 このコミックには
 曰くがありまして…
 立岡さんが
 お会いする度に
 お土産として持って来て
 くださっているのです。
 今回、発売されている
 単行本最後の11刊を
 いただきました(^^♪


12:00

鷹狩山山頂にて



前回の墓参で訪れた時より
お天気が良くて見晴らしバツグンでした。
案内板の前で…



爺ヶ岳(2670m)


左に常念岳から、右に白馬方面まで一望

残念ながら白馬は雲の中でした。




大町市街を見下ろして…



皆様は展望台に上がられましたが
足を引きずっている私は
ご遠慮申し上げ…(~_~;)



13:00

行きつけのお蕎麦屋さんがお休みで
地元の方にお尋ねして
初めてのお店に入りました。




とても、とっても美味しかった!



13:30

お蕎麦屋さんの前にある
「塩の道博物館」を見学することになりました。



通称「塩の道」と呼ばれる千国街道の歴史と
人々の暮らしを紹介する博物館です。



江戸時代の庄屋で塩問屋を営んだ旧家を公開。
展示も盛りだくさん。



帳場で番頭さんを演じる立岡さん


この造りはどこかで見たような…
「あれっ?鈴鹿の家にそっくりじゃん!」



古い機織り機で体験をさせていただきました。

ハマりそう!



古民具の数々

鈴鹿の家にも多数ありましたが
ついこの間、処分してしまいました。
もったいないことをしたかしら?



懐かしい先に突起のあるスキー
私も小さい時に履きました。



古い蔵が続きます。



この綺麗な蔵は
流鏑馬会館です。




流鏑馬会館に
家紋の展示がありました。
上段左から二番目「剣カタバミ」の紋は
うちの家紋です。
「う〜ん。身近に感じるなぁ」



全て少年と言う、馬上の騎手の衣装
全国的にも珍しい大町の夏祭りで使用されます。



ハッピを羽織って「旦那さん!」
水野さん、さまになってますよ(^−^)



博物館の軒の下には
沢山の燕の巣がありました。

黄色いくちばしを大きく開けて餌を待つ
可愛い子燕

親鳥は必死で餌集め。



14:45

白壁の続く「塩の道博物館」を出て



相田さんとお別れです。
気を付けてお帰りください。



立岡さんも横浜に帰られます。



私達3人は名古屋方面に向けて岐路に着きます。

今回、新しいメンバーをお迎えしてのケルン墓参でした。
父母の神通力がいつまで続くのか?と心配されたお天気もお約束の晴れ!
私の体力がいつまで持つかが気がかりですが
「来年も皆様とご一緒に行けたら良いなぁ」とつくづく思う私です。

皆様、本当にありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。

              


−ここに掲載致しました写真は、いつも写真班をお願いしている水野さん・
立岡さんの写されたものが多いのですが
藤田さんを始め皆様からお寄せいただいた写真も使わせていただいています。
ありがとうございました。−


さて、今回も
         <オマケコーナー>  

久しぶりにお会いした後藤さんが、屏風岩を見ながらこんな事をおっしゃいました。
「僕が高専の頃に、先生に連れられて屏風岩の北壁を登った時の写真を持っています」
是非、いただきたいとお願いして、先日デ−タを送っていただきました。

以下ご覧ください。



1969年8月(父50歳のころ)

屏風岩の頭にて

豊田高専山岳部で『屏風岩北壁』を登頂

真中で膝を抱えているのが父
右に前田さん・後ろに後藤さん

登る途中「あれがAフェ−ス。
あそこが登頂を断念してオカンした場所」など
説明をしたそうです。



屏風岩に取り付く父
父、最後の屏風岩登攀になりました。


このペ−ジをご覧いただき、ありがとうございました。

昨年10月の台風18号の被害で、鈴鹿の家の塀を二ケ所造り替え
私の部屋の屋根の葺き替え工事、そして大裏の家の解体工事と続き、
無くなった建物の跡に新しい庭を今でも造っています。
そんなこんなで父の残しました資料の整理作業が捗らず
作業をしてくださっている藤田さん・水野さん・菅沼さん・
森川さんには、多大なご迷惑をお掛けしています。
HPの方もなかなか更新できませんが、
これからも応援よろしくお願い致します。
                2010.6.21  あづみ記