<その3:ナイロンザイル切断原因の究明>

昭和30年2月1日~4月21日


2月1日付 田中栄蔵氏宛 父の手紙


 ご親切なお葉書拝見し感激の他ありません。
 実は28日の朝、私の留守中に熊澤氏から電話があって、東京製綱の重役、技術者と熊澤さんが私に面会したいとの伝言をもらいましたので、実家に電話し面会してもよいかと尋ねましたところ、面会するなと言うことでありましたので、熊澤氏に(留守のため奥さんに)電話して「私は勘当同様の身であるから面会する資格がない」と返事しました。夕刻、丁度ザイルの引張りテストのことで須賀さんにお会いしましたので、以上のことを話し「用件も聞かないのに面会しないということは心苦しい」と申しました。須賀さんもやむおえないではないか、とのことでした。7時半頃帰宅してみますと、貴兄からのお葉書が着いておりました。(27日付、東住吉局)私は、これは大変だと思って、私個人としても、ともかくお会いせねばならないと思い、翌朝熊澤氏に電話してお会いする約束をしました。正午頃、東洋レ-ヨンの事務部長から電話があって「東京製綱のお二人はこちらにみえており、津島の若山さん(父)と電話した結果、今から津島へゆくことになったから同行してもらいたい」とのことで、東京製綱2名、東洋レ-ヨン1名、小生(熊澤氏の同行は、父が断ったそうです)で津島へ行き、父が信用して全てを任せている父の会社の社長(山本)と父とで面会しました。その結果は、話は非常になごやかに進み、両会社も重々責任を感じている。今後、原因の究明に努力するということになり、ご一緒に五朗の霊前にまいっていただき、夕方帰られました。私はその夜実家で泊まりましたが、父も変わった人のようになって、昔の父の状態にかえり、この状態ならば、父の健康も大丈夫であろうと思いました。(実は、数日前突然倒れ、大騒ぎになりました)
 私は翌日(30日、日)電報が来ましたので神戸へゆき、三重山岳連盟の総会でこれまでの礼をのべ、病院によって夜遅くまで捜索について打合せしました。東京製綱、東洋レ-ヨンの方は、30日正午頃病院の方へも見舞いに来られました。
 私が病院に行って初めて分かったことですが、先日、貴兄に申しましたのでは、澤田の足指は大丈夫だったのですが、それは医師も素人目にも良かったようですが、3日程前から、急転し、4本ダメだろうということです。墨のように真っ黒になり細くなっていくようです。医者もびっくりしているようです。結局、経験がなかったということが分かりました。もっとも、遭難直後なればともかく、今になっては、手当ての方法もないのかもしれません。しかし、今問題になっていますのは、満州へ行っていたという人は、これは直ぐに切断しなければ良い部分まで悪くなってしまうと主張します。医師は落ちるまでほって置けば良いと申します。澤田の父が医師に相談しましたがほって置けば良いとのことです。しかし、前にも足は大丈夫だと言っておりながら、誰にでもダメと分かって始めてダメだったと言うことで、信用をなくしておりますので、皆が心配しております。又、切断するにしてもどこから切って良いか分かりません。どうしたものでしょうか。ほって置いて良いものなら良いが、そうでないなら、どこか病院を変わる必要があるような気がします。吉村先生に直接お手紙でお尋ねしようかと考えますが、中勢病院へは名大の紹介で行っておりますので、一度名大関係で調べていただくのが穏当かと思い、目下名大で尋ねております。その結果によっては吉村先生にお尋ねしたいと思っております。
 先日、名工大に私の同級生がいますので、そちらで引張り試験をしてみましたが、ザイルが中央で切れず、チャックの所で切れます。いろいろ工夫してみましたがダメですので、山友達の学習院の木下さん(←かつて名大講師で須賀さんの所にいました)に尋ねましたところ、昨日、金坂さんからお便りが来て荷重のかからない結び方を見本入りで教えていただきました。Eye spliceとか言うのだそうです。金坂さんは物理屋らしくナイロンの剪断力テストと、摩擦テストにカギがあるのではないかと言っておられます。
 一昨日、昨日午後と須賀さんの所で結び目を一定にして引張りテスト及び刃のテストを行いました。丁度ザイルは全部上高地に置いてあって手持ちがないので、切れたナイロンザイルと10mほどの東京製綱(青麻←数年前購入)を比較してみました。ナイロン580kg、麻510kgで切断。
次に (鉄製のかなり光鋭な稜を持つもの)ナイロン95k 麻196k
ナイロン75k 麻196k
ナイロン69k 麻125k

いずれにしても回数が少ないのと、テストピ-スの種類も少ないので何とも言えませんが、先日、家でやってみた時のことから考えても、ナイロンは刃に弱いように思いました。次には本格的にやってみたいと思っております。更に大切なのは衝撃テストと思っています。
 貴兄の御葉書のお蔭で父の方は誠にうまくいったと思います。
本当に有難うございました。喪心御礼申し上げます。
今後ともどうかよろしくお願い申し上げる次第であります。
 もう一ヶ月経ってしまいました。
 2月1日       石岡繁雄
スワタ様
 試験用ザイルの見本、梶本さんからも頼まれております。宛名が分かりませんので、貴兄宛送らせていただきます。

2月6日付 父宛 田中栄蔵氏の手紙

 石岡様
 お父さんのお心を幾分なりとも和らげてあげることができたのは嬉しかった。余計な事と思いましたが、勝手に話を進めて御迷惑ではなかったかと思います。あの葉書を名古屋で投函すべきところ、眠っていて目が覚めたら亀山だったので遅れまして申し訳ありません。先方も現地のお心持を知りたがっていまして、今行ってはまずいと言われましたそうで、それでは誠意が通じないから、とにかく人の心を和らげ、科学的なdataは後で出すことは仕方ない、別に謝りに行ったからといってSeilが悪くて責任を取らせることとは、問題は別にしてくれと言っておきました。先方もこの点は早くゆきたいと心配していたところで助かったようです。御年老りを怒らせてしまうと後々うまくゆくこともこじれるのを恐れたからです。この点で心配なのは熊澤さんですが、これは科学的なdataが出てからでもゆっくり話合ったらとも思います。お父さんがお怒りならば出かけて行って、Seil屋に会ってもらおうとも考えていましたが、そうならなくて話が分かって結構でした。
 梶本君も2/2-4日、上京したので色々と話し合って来てくれます。お送りしていただいたSeilを少し切って持って上京してもらいました。同様のSeilも送ってもらい調べています。
 ナイロンをChackingすることは難しいでしょう。Chackで繊維が切れてWeakとなるためではないでしょうか。だとすればFriction(摩擦)に強いのですからSand paperの細かい物をSeilに巻いて、その全面Frichinを利用して、Chackingすると良いのではないでしょうか。我々の所で細い線を切る時にもこうした方法でやります。もし、これでもダメならば、Chackする所を少しほぐして、短いSeilを合わせてよって、太くしてここをChackするかでしょう。
 澤田君の指が痛くなった日時が遅いのでおかしいと思いましたが、やはり予想通りでした。やはり切るより他仕方ないでしょう。ほって置いて落ちることもありましょうが、やはり死血が生きている組織に悪影響があるのではないでしょうか。名大で調べてもらい、判らねば吉村さんに聞いたらどうでしょう。或は洋平氏(伊藤氏。八高山岳部後輩。京都大学医学部。『岳人』創設者)に聞いてもらったらどうでしょう。夜分はPM7時頃から家にいるそうです。確か西陣6618番です。吉村先生は京都府立医大の方です。電話ならば直接に話されて聞いた方が早いのではないでしょうか。黒くなったらそこは再生しません。
 金坂氏は確保の力学で梶本君から頼んで協力してもらっていますが、剪断力、摩擦にもKeyはあるでしょう。私はもっと前の素材の珠晶スフェライト生成が低温脆性に関係あるとみています。これは高分子材料の通則です。今見てもらっていますから、お知らせできると思います。
 刃のTestは面白いもので、やはりEdge effect(エッジ効果)が弱いようです。砂や岩ではもっと弱いのではないでしょうか。それからあの時のNylon seilの太さ・麻綱の太さと荷重をお知らせ下さい。
 2/9日にこの問題というよりも、今冬の遭難の懇談会をやります。PM6:00-8:30朝日新聞社です。JAC関係で私立大学からも来てもらいます。お暇でしたらお出かけください。泊まっていただいて結構です。
 試験のためにはSeilは東京製綱から供給してもらったらいかがでしょう。これは登山界の問題としてやっておく必要があります。
 洋平さんのところへ吉村さんのこと頼んでおきます。
 乱暴な手紙になりましたがあしからず(以下破れ読めず)
               スワタ栄蔵


2月6日付 田中栄蔵氏宛 高柳栄治氏(東京製綱麻綱課長)の手紙

拝慶
 春寒料峭の候益々御清祥の段お慶び申し上げます。
 扨て過般ご上京の節は、海野氏の御紹介に依りご離京前のご多用の処を我々とご引見頂き、今後のザイル問題に対する処置に就き御親切なるご忠告を頂き、且つ試験方法等ご教示に預り御懇情の段厚く御礼申し上げます。早速先月末風邪抜け切らぬ上司と共に名古屋に出向き貴殿より石岡様に御連絡いただいていました御蔭で、石岡様並び故人の御尊父に拝眉叶い弔慰を表する事が出来ました。御蔭様で幾等かでも感情を和らぐ事が出来たかと存じます。尚入院加療中の石原、澤田の両氏にも御見舞いを致して参りました。
 帰京後御端書有難く拝見御懇切な数々の御指導御注意を頂き誠に恐縮いたしました。
 梶本様の御来社を鶴首致して居りました処、昨五日迄には御見えなく好日山荘にも問い合わせました処、同所にもお立寄りのないとの事残念に存じました。
 御端書によれば事故ザイルを試験資料として低温試験を実施される趣、その結果を御知らせ頂ければ誠に幸せです。阪大の篠田先生が試験資料として事故ザイルを求められておられる模様です。若し幾分かありましたら先生に御渡し願えないでしょうか。実は石岡様にお会い致した時貰えれば宜しかったのですが、あの際それを云い出す機会を失ってしまいました。
 2月9日には朝日で登山の遭難とザイルの討論会を催される趣、其の記事が刊行物に記載される様な事がありましたら御知らせ願います。(拝見したいと思います故)
 今回の件に就いては何かとご心配頂き誠に恐縮致して居ります。今後とも何卒宜敷御指導のほどお願い申し上げます。
 先づは御礼旁々お願迄       敬具
     2月6日    高柳栄治
田中栄蔵様
   侍史

2月9日 日本山岳会関西支部でのザイル検討会
 この資料は『ナイロン・ザイル事件』に掲載されている物である。大阪大学教授で日本山岳会関西支部長の篠田軍治氏がナイロンザイルの実験を引き受けられた貴重な検討会の要旨である。


 時 30年2月9日夕刻より
 所 大阪朝日新聞社4階
 出席者 藤木九三氏・篠田軍治氏・田中栄蔵氏・梶本徳次郎氏・葉武晋氏(東洋レ-ヨン)・石岡繁雄・その他約20名(石岡は田中氏から案内をいただいて出席)
[内容]ナイロンザイル検討会 富士の遭難について等
 篠田氏の研究報告゛外国製ナイロンザイルと東京製綱製ナイロンザイルの比較“…結論、まだ始めたばかりで切断原因は目下のところ全く不明である。  梶本氏報告、関西登高会のナイロン8mmザイル及び各種ザイルの見本を持ってこられ、大阪市大山岳部、東雲山渓会のザイル切断の状況を説明された。岩稜会の遭難については「又白の池で、岩稜会の遭難を知った。直ちに若い者を救援隊に参加させた。救援隊がA沢から降りて来る時にオレンジ着色ナイロンザイルが非常にはっきりと見えたので、新製品ザイルは着色の点だけでも非常に有効であると考えたが、そのザイルが切れたと聞いてがっかりした。もしも岩稜会の遭難がなければ、我々が使って遭難していたはずであり、我々は非常に幸運であったと思っている。…」
 石岡報告、岩稜会遭難状況報告後の実験を図を書いて説明した。次に東洋レ-ヨン発行のパンフレットに言及し、ギザギザの金属の縁での摩擦テストでもナイロンは従来の綱に比し、三倍強いと書いてあるが、どのような実験をしたのであろうかと述べた。説明終了後、東洋レ-ヨンの葉武晋氏は、石岡のもとにこられ名刺を交換し、石岡の持っていたパンフレットを見て「これはデュポンのデ-タで東洋レ-ヨンとは関係ない」と言われた。石岡はパンフレットに「東洋レ-ヨンのアミランはデュポンのナイロンと同じ性質と見て良い」と書いてあるのを見たが、これについては何も云わなかった。

 この時、篠田氏は関西支部の支部長として議長を務めて、「事故原因の究明は、死因を明らかにするためと、今後の登山者の生命を守るために急がねばならない。その研究には自分があたる」と発言された。
 父は、独自と名大、名工大で行った実験の結果を発表した訳であるが、全く反応はなかった。会議の後で新聞記者の方々に質問を受けたが、記者の中に「肉親がやった実験の結果は公平なものではないんじゃないですか?」と質問された。要するにその場にいた方々は<肉親の行った実験結果・デ-タは信じられない>と思われたようだ。


 文中、「富士の遭難について」とあるのは、昭和29年、吉田大沢で大規模な雪崩による大量遭難のことである。日大、東大、慶大山岳部の40人が訓練中に雪崩に巻き込まれ15人が死亡した。南岸低気圧によるものであった。
 昭和29年11月28日午前10時40分、富士山の吉田口7合目で幅300mの雪崩が起きて、6合目から7合目の間で東大、日大、慶応大、一般の登山客ら60人のうち40人が巻き込まれた。いずれも1000から1500m流されたが1人が死亡、14人が2尺(61cm)の新雪の中から出て来ないまま不明となった。この遭難した15人は東大生5人、慶大生2人、日大生8人だった。5合目の佐藤小屋から救援隊が出たものの捜索は難航した。富士山では明治元年に山頂で16人が遭難死して以来の被害の事故だった。 
 助かった日大山岳部リーダーによれば、8合目まで登ったものの風雪が強かったために引き返したのだが、7合目のあたりで上から雪塊が押寄せ「やられた」と思ったという。また東大山岳部のリーダーはラッセルが深く、吹雪が強かったが、メンバーがベテランばかりなので楽と思っていた。しかしトップの1人が転落してすぐに音のない雪崩が押寄せたという。意識が戻ったのは1500mも流された後の雪の中だったが無事に這い出す事が出来た。また別な東大生は雪崩の際に雪の上になって助かり、日大の25歳OBは雪にずるずる流されているうちは楽だったが出ようとするとすごい圧力で苦しくなり、泳ぐように雪をかいて外へ出たという。

 上記の東洋レ-ヨンのパンフレットはこの年の1月中旬に発行された物である。この入手経路は、名古屋大学学生部教務課教務係長の鋤柄氏に父がナイロンザイル切断の件を話したところ、鋤柄氏は名城大学夜間の教官をしており、その学生で東洋レ-ヨンの社員がいらっしゃり、お願いしてお借りしたものである。借用期間は1月中旬から3月中旬であり、その間に必要部分を書き写した。その文章は『ナイロン・ザイル事件』に抜粋の掲載があるので転記する。
 尚、写真も複写されていたが、画質が汚く見られないので、掲載しない。


 ナイロンと産業 ナイロン繊維の色々な生産資材としての応用 デュポン
 5頁 命の綱
 若し貴方にとって繊維の強度ということが重要な問題である場合、この写真の電線工夫の安全帯を軽々しく見逃してはならない。(写真略)
 デュポンのナイロン繊維は、それを使った製品の強さを事実上2倍にする。
 その例がこれであるが、電線工夫はその強い摩擦強度のためにナイロンを愛好する。
 彼が上がったり降りたりする度に、その安全帯はガサガサの電柱と擦りあうことになる。更に悪いことに金属製の桁のガサガサの縁ともすれ合う。試験結果では、通常の帯の3倍もナイロン帯は耐える。このナイロン帯はデュポンの合成ゴムネオプレ-ンを浸み込ませてある。
 この塗剤の総合は、その耐久性を増加せしめる。ナイロンもネオプレ-ンも共に電線工夫が電柱からくっついたクレオソ-ドをとり除くために使用するしみ抜き溶液のために損傷をこうむることはない。
 7頁 ナイロンの特性
 強度
 ナイロンは既知の繊維のうち最も強いものである。奇好かも知れないが、その強さは同じ大きさの針金に等しくたいていの場合同じ目方の針金より強い。完全に濡れた時でも、その強さは10~20 %減ずるのみである。 又-112°F (-80°)の極寒に長期さらした場合、その緊強率を増大しても、その強度は変化しない。
 8頁 摩擦強度
 ナイロンは極めて丈夫である。丈夫という言葉を定義付けることは困難であるが、我々は荒っぽい使用に耐えるという意味に使いたいと思う。ナイロンは我々の定義づけた丈夫というもののよい例である。それは何度痛めつけてみても依然元通りである。
 ナイロンの頑強さというものは、その本来的強さと無限のしなやかさと、滑らかな糸の面に由来する。従って炉布や漁網や抄紙用フェルトやコンベアベルトにおいて正に示している如く、修繕や取替の手間やコスト…或る特殊の使用目的に於いて最大の摩擦強度を得るためには、繊維の適正な設計と構造が重要となってくる。
 ナイロンを一寸混ぜただけで、その織物の摩擦強度は大きく増大する。
 10頁 デュポン、ナイロン繊維について記憶すべき10ヶ条
(1) ナイロン糸はすぐなれて大きな強力と軽さをもっている。
(2) ナイロンは摩擦に強く、耐久力は非凡に大きく裂けにくい。
(3) ナイロンは丈夫で堅固である。
(4) ナイロンは吸湿性少ないので乾きが早い。
(5) ナイロンは熱固定が可能である。
(6) ナイロンは強力を失うことなく、何回も引っ張ったり曲げたりすることが出来る。
(7) ナイロンはアルカリや炭化水素に強い。
(8) ナイロンは汚れやカビに強く朽ちない。
(9) ナイロンは焔が拡がるのを防ぐ。
(10) ナイロンは体組織に無刺激性である。
  アミランの染色加工
    昭和29年1月 東洋レ-ヨン株式会社
 アミラン(東洋レ-ヨンのナイロン)の染色加工
 アミランは米国デュポン社のナイロンと同じものと考えて良い訳ですが、染色性はむしろ優れており、各種の塗料に強い親和力を示します。   

2月14日付 父宛 金坂一郎氏の手紙
 この手紙は残されておらず、『ナイロン・ザイル事件』に記載されていた。転記したいと思う。


 お便り拝見いたしました。確保論をお読みいただいたそうでまことに嬉しく存じますが今から考えるとなぜあんな未熟なものを発表したかと冷汗の至りです。
 しかしながらどんな所でどんな落ち方をしても、必ず止めたいというのが多年の念願でありますので、岩登りに限らず山登りに用いられる技術一般について今後とも、勉強していきたいと考えております。どうぞ実技の立場からご意見をお聞かせ下さるようにお願い致します。
 ナイロンの問題については、KO(慶応)の学生に米軍の妙義山部隊でナイロンの事故が多いように聞いたと聞きましたので、米国に帰っている会員に照会してみましたところ、別紙のような呑気な返事でした。しかし今回の事故といい、KOの学生の経験といい、私には現在ナイロンを信用することは出来ません。KO生の経験とは次のようなものです。富士の氷雪斜面で、ピッケルのシャフトにザイルをからませて、制動確保した時は何の異常も認めなかったが、ブレ-ドにからませて直接確保したら、数メ-トルのスリップによりザイルが溶けて殆ど切断に近い状態になったそうです。
 また貴兄の実験も貴重なデ-タです。
 端結びによる抗張力では最低のマニラ麻がエッジに対して二倍も強いという結果ですが、そのもろさを見ると恐ろしいような気が致します。
 小生のこすりつけ実験でも抗張力の問題を度外視すれば、太いザイルが安全で、細い物は危ないという傾向が見られました。試験材料に適当なものが得られず、装置も不完全な少数回デ-タですが、篠田先生のご批判を願っております。
 装置としては鋸盤を用い、五分の丸ヤスリに直接角30度でこすりつけたもので、切断までの往復数を記録しました。抗張力は今学校が試験中でテスタ-が借りられないのでやっておりませんが、抗張力との対比を見ると面白い結果になるかも知れません。
 注目すべきはFの古ザイルですが、非常に軟い、夏ならば使い良いので、戦後軽い程度のアンザイレンに何回か使用しました。
 とにかく右の実験でも前穂におけるようなもろさは現れませんでしたが、色々やっているうちにナイロンの決定的な欠陥は発見されそうな気が致します。
 大勢の協力で速やかに結論を出したいと存じます。小生も今後各種の実験の計画を考えておりますが、とりあえず中間報告を致します。
  2月14日    金坂一郎
石岡繁雄様

【別紙】(ナイロンロ-プに関するアメリカ登山家某からの金坂氏への書簡:同封された物は英文。石岡訳)
 ナイロンロ-プについての貴方のご質問には驚きました。今日のアメリカではナイロン以外のロ-プを使おうと考えている人があるとは信じられません。私自身どんな状態の登攀でもナイロン以外のロ-プを使おうとは思っておりません。
 アメリカ人がナイロンザイルで事故を起こしたことがあると貴方が聞いたと言われるのは、完全なデマであると私は信じます。例えば私の在日中ツノダ氏は、私に次の事を話してくれました。即ちアメリカ人がナイロンロープには結び目の欠陥があることを見付けたというのです。これについて私は、ロッキー山脈に住んでいて山にも登り、そこで登山用具店を開いている友達に手紙を書きましたが、その返事は次のようです。
 その友人は誰もナイロンの結び目での事故を経験したものがあるとは聞いていないし、又その友人自身もナイロン以外のロープで登攀しようとは考えていないと言うのです。
 私は帰米した後、この事について多くの人々に尋ねてみましたが、誰も彼もナイロンを使っているし、またけっして事故を起こしていないということも知りました。
 シエラ-クラブでは各種ロープの張力テストを行っています。また彼らはトレーニング、指導登攀、遠征登攀でもナイロンロ-プ以外を使ったことがありません。
 私個人の意見として、そういった風説は、標準ロープのメーカーなり業者なりによってつくりだされた(少なくともある部分では)のではないかと思います。加えてナイロンは非常に高価であるので、ナイロンを求めることのできない人々は普通のロープの方がナイロンより優れているというデマを、理論づけたり言ったりするということはあり得ることと考えます。
 仮に普通のロープが改良され、もっと強くなったとしても、それがよく使われるようになることはないと思います。
 要するにナイロンの優秀性はその柔軟性にあります。
 ナイロンロープが普通のロープよりも墜落を支える力が大きいのは、ショックを吸収する伸びがあるからです。
 シエラクラブではこの題目に関する一連のテストを発表しました。

 さて、澤田榮介氏の凍傷の件だが、田中氏からお返事(6日付)をいただいてすぐ、日本の凍傷治療の権威吉村教授に葉書を出してご指示を仰いだが、14日付で府立医科大学から返信があり、吉村先生渡米中で返信が出来ない旨であった。
 澤田氏は、22日に手当の甲斐もなく親指を切断する。それを父に知らせる23日付の葉書を清書する。


 毎日、ご多忙の事と存じます。
 先日来のご依頼の品々、社長(岩稜会伊藤経男氏)が留守で心ならずも遅れて申し訳ありません。
 その後の小生の経過をお知らせします。昨日、親指全部を切断しました。矢張りダメでした。
 その他の指も少しなぶっていたようですが、麻酔のため判りませんだ。左足親指も骨に達しているには驚きました。しかし大した事はありません。
 いずれにしろ今月中で退院出来るかと思います。
 では、お身体を大切に。

 その後、澤田氏は足の指を2本切られることになり、計3本の指を失くされる。


2月19日付 父宛 國利氏の手紙
  國利氏は17日に退院して東京の下宿に帰り、ナイロンザイルによる遭難の実態などを調べる仕事に専念する。右に掲載した手紙は、その第一報と二報であるが、2通の手紙が一通として残されていた。クリックしていただければご覧いただける。
 紫字は父が入れたコメントである。


 前略御免下さい。
 本日午後KO大学山岳部部室を訪ねました。富士山でのテストの結果は別紙のごとく(昭和29年11月19日に起きたので、「青龍の章」の該当部分に記載)ですが、その他にも参考となるものがあるようですから、左記します。
○切断事故の発生について
(1)穂高北尾根でのKO高校のザイル切断事実なし。
 丹沢でのKO高校生の遭難が、語り伝えられたのではないか。
(2)富士屏風尾根でのザイル切断…その事故があったかどうかについても知らない。
(3)大阪市立大のザイル切断については、部員全員が全然初耳である。特に(3)についてと、66.5°の鋭角テストの大体の結果について話をした時には、その場にいた部員全員が愕然たる面持ちで、今まで自分たちは富士山でのテスト以来、ナイロンザイルに対して漠然たる不安を感じていたが、そんな事実があるとすれば、もうナイロンザイルは使用できないと云っていました。
 これで判る様に、一般にはナイロンザイルのモロサと云うものが充分知れ渡っていないのではないでしょうか。春山を前にして、一刻でも早く何らかの方法で一般の人々に周知させる必要を痛感しました。
○その他、人の話などで部員が知り得たことは。
(1)日大工学部で目下ナイロンザイルのテスト中だが、それによると
 1.ジワジワと引っ張った引張り試験では、10cmのザイルが約30cmにまで伸びて切れた。←ツナギ方
 2.反対にショックの場合は麻の2ないし3倍弱い。
 特に2.は重要だと考えますが、詳しいことを聞きに一度日大工学部(日大山岳部)を訪ねてみたいと思っています。
金坂氏→(2)東京製綱でグラインダ-での摩擦試験では、ナイロンザイルは麻ザイルに比して非常に(何倍位か不明)強い結果が得られた。
○東雲会の件について
 堀さん宅に電話しましたところ、先日、穂高-白馬縦走に出発、帰宅は3月20日頃になるとのことでしたが、幸い大高さん(明神で落ちて怪我した人)と連絡がつき、明20日午後自宅を訪ねて詳しい話を聞くことにしました。これは別便で報告します。
2月19日    國利

2月23日 東雲山渓会大高俊直氏から國利氏が手渡された手記(『ナイロン・ザイル事件』に記載)

 〇東京製綱のナイロン9mm白色ロ-プ
 〇昭和29年2月中旬東京好日山荘にて購入。保証書無し。
 〇使用回数4回 7月奥又白 2回(明大ル-ト・北壁)
      12月明神 2回(四峰東稜・中央ルンゼ 12月28日、快晴午後1時頃切断)
 〇切断当時のザイルの状態は、表面がごくわずか毛羽立っていた。
 〇事件発生現場は五峰東面、ワデ宮沢の奥(中央ルンゼ)の三ッのバンドを有する80mくらいの岩壁(ここまででルンゼは三ッに分かれる)の右端を、壁の下から2ピッチ登り(約70m)、次のピッチ目の初めの幅30~40cm、長さ3~4mのバンド(トップはバンドの上昇角45度~30度と記憶するが、セカンドは水平であったという)の先端にある2~3mの小壁( or滝)を直登しようとしたとき(その小壁の上は雪の付いたルンゼで、我々は五峰東北稜へ出ようとしていた。小壁には雪の付着はなく部分的に薄い氷がベルグラ状についていた。バンドと小壁の下は上からは見えないほど切れている。バンドと小壁とのコンタクトは小さくリッジ状をなしている)で、ハ-ケン2本(不明確。或は1本。しかし全然打たなかったとは思わない)を肩の辺りに打ち、セカンドへ確保「たのむぜ!」と言い返答を受ける。
 その30秒位後に「アッ!」と言う声をセカンドは聞き、ザイルのたるんでいるのを見て、たぐればザイルはズルズルと手元にたぐられザイルの切断を認めて驚く。
 セカンドはセルフビレ-のカラビナにもトップへのザイルを通していたから、トップへのザイルは三ッの(或は二つ)カラビナを通っていた。セカンドは切断時ショックを感じなかった。
 セカンドはハ-ケン、カラビナが岩に当たる金属音を聞いていないし、ザイルの状況からハ-ケンは抜けなかったと思われる。
 〇ザイルが張るまでの推定落下距離は30cm~100cm。
 〇ザイルの支点になった物はカラビナまたは岩角(偶然)か?
 〇ザイル切断箇所はトップから1m位の所、3本撚りのうち2本が切れ口が揃い、1本は他の2本より1cm位ずれている。
 あいまいながらトップに記憶があるのは、ハ-ケンを打ち「たのむぜ」と言った時までで、その後の記憶は全くない。
  東雲山渓会 大高俊直 

2月29日付 父宛 國利氏からの手紙
 この手紙は、大高氏から手渡された手記と、実際にお聞きした話を國利氏がまとめたものと思われる。
 上記19日付の物と同じ封筒に入っていたので、図など上の手紙でご確認いただきたい。

 東雲会の場合
○ザイル購入の事情
 昭和29年2月に、東京好日山荘にて、マナスル用として作った物の残りを、長く巻いてある物から40mに切ってもらい2本購入した。その中の一本である。8mmか9mmかは不明。会では8mmと呼んでいた。
 当ザイルは、その夏奥又白で2回と、前日即ち12月27日の明神岳東南稜(東尾根だったかも知れません)往復に使用、28日は第4回目の使用であった。
 27日、28日の両日は快晴。日中は非常に暖かかった。27日の夜はテントの中に入れていた。ザイルが切断したのは、28日の午後1時半頃である。
 現物は現在堀さん宅にある筈だから2,3日中に取り寄せて置くとの事。入手次第郵送します。
○ナイロンザイル切断の状況及びその地点(略図及び写真参照)
 先ず確保者は、P1(ハ-ケン)にかけたカラビナでセルフビレ-(自己確保)すると共に、これにトップより出たザイルを通してジッヘル(確保)した。
 トップ(大高)は左上に走っているバンドをトラバ-スする。オ-バ-ハングの岩はバンドの終わり辺りでカンテ状になって終わっている。これを回り込むと奥は約2mの滝をなし、滝の上にはロ-ト状のルンゼがあり雪が詰まっていた。廻りこんだ辺りで、肩の高さの辺りにP2を打つ。この時はすでにトップは岩の陰になって見えない。ただトップの右足が確保者の目よりやや高い位置に見えていただけである。尚、トップがトラバ-ス中に、伸びたザイルが二、三度途中の岩角(小さな岩の突起らしい)にかかりそうになったので、確保者はザイルを振って外した。ザイルが切断した時に引っかかっていたかどうかは記憶にない。
 P3について。トップはP2から先の事は記憶が甚だ曖昧である。ただP3を打ちたいと思ったこと、そして打ったとしてもP2とP3との間隔はいくらもない。せいぜい30cmないし50cm位だったと思ったと云う記憶が残っていると言っている。そして落ちた時のことも全然記憶に残っていない。ただ廻りこんで(P2より?)約60°位の角壁で左上方へ少し登った様な気があると言っている。
 P3及び落ちた時の状況についての確保者の記憶。トップが見えなくなって、先ずP2を打つ音か知らないがとにかくハ-ケンを打つ音が聞こえた。しかし、その音はすぐに止んだ。音が止んでから約30秒の後トップは落ちて行った。確保者には全然ショックは伝わらなかった。
○切り口の状態
 ザイルはトップより約1mの点で切断していた。3本撚りの中2本は揃って切れ、他の1本は約1cmずれた位置で切れていた。3本ともプッツリ切れた感じで、いずれも切れ口より約5mm程度撚りが戻っていた。
 当時としては、あまりプッツリと切れていたので、何処か岩角で擦れて切れたものと思っていた。これについて先般のカラビナによる引張り試験の結果を話しますと、二人とも意外な面持ちでした。
 P3は打ってあったとしても、音が止んで30秒後に落ちたことから察して、おそらくこれにはカラビナをかけ且つザイルを通す暇も無かったのではないでしょうか。P2にかけたカラビナが支点になった様な気がします。
(次頁は図のみ。手紙参照)

 3月1日発行の二つの山岳誌が、前頁に記載した1月7日に木村小屋で父が執筆した、ナイロンザイルの岩角欠陥の仮説報告書を掲載した。下の表紙または頁をクリックしていただければお読みいただける。

『山と渓谷』189号
二つの遭難とナイロンザイル-石岡繁雄
 この号には、重要な掲載が多々あり、父の文の他に近藤勝彦氏著「ナイロン装備の進歩」の記事も掲載されているので、同時にお読みいただけるようにした。
 父の文章の最後には

 
 ナイロンザイルの切断事故は岳界に異常なショックを与えた。本誌では本問題を研究する為、阪大の篠田軍治博士の実験報告を次号で発表することとする。(編集部)

と書かれている。篠田氏が登山綱としてのナイロンザイルの実験をすることになったと言うことで、後に問題となるので、是非ご記憶願いたい。

 以下の熊澤氏の文章もこの雑誌に掲載されたものである。転記する。

 
「ナイロンザイルの切断」-熊澤友三郎氏(55頁)
 1月2日前穂東壁の岩稜会のナイロンザイル切断による遭難に関し、私もその原因を調査すべき責任がある立場上、関係者と会いました。その原因の答えは支点となった岩の表面の鋭角が氷と岩角とで如何な状態の所にナイロンザイルを投げ掛けたかは当事者も見ていないから知らないと言っている。(この場合の支点が鋭角でなければザイルは切断しない)
 次にビバ-クの一夜を、このザイルを尻敷としてツェルト冠って過ごしたことは、一応ザイルは凍結していたものと思われる点がある。右の二点が判明すれば、この原因がザイル側にあったか、誤られるナイロンの使用法に起因するか判明すると思う。
 どの様な所にても切れない軽いザイルが出来れば申し分ないが、鋭角にて繊維が切れやすいことは、ナイロン糸は絹と同様である。当日の温度は零下30度位であった。ナイロンザイルにワセリンの塗布はしてない。

 「執筆家通信」81頁第1段17行目より第2段22行目まで
 ※ ザイルの改良は岩登りの正しい発展に、大きな影響をもつと考えます。貴誌に送った原稿は上高地で(毎日新聞の竹節作太氏の1月6日の記事があまりにも事実に反したように考えましたので)急いで作り朝日・信毎・中日各新聞社にも渡しました。
 中日の記事のうち、「岩が砕け云々…と、分子構造…」は、新聞社の間違いです。本誌に発表の私の原稿が正解です。又1月3日、前穂高北尾根で大阪市大山岳部の大島・橋本、両氏のパ-ティで、12月購入の東京製綱ナイロン11mm製品(ザイル番号GN10078)が確保者に全然ショックなく、しかもザイルに岩角の跡もなく、ただ15cmほどバラバラになって切れております。(幸いにも大島君は約30mの墜落で雪中で助かっています)私達の遭難事情については、今筆を取る気になれません。
(名古屋市岩稜会 石岡繁雄)
 ※ 前穂高のザイル切断事件の原因の調査に乗り出していますが、今少し日時が必要です。現在の岳界人々でこの問題に答えられる人は、私の知る限りありません。この重大さに発表出来ないのが現状で、素人考えはやめて科学的調査による必要があります。私の考えはナイロンの知識を登山者が知らないためによる原因(→誰が知らせるか。その義務がある)と、製綱上の点を考えねばならないと思います。
(名古屋市 熊沢友三郎)

 文中の下線と紫字は、父が書いたコメントである。 
 
『岳人』83号
世にも不思議な出来事-石岡繁雄

クリックしてください。
お読みいただれます。

3月7日~10月7日 「ザイル試験」と書かれたノ-ト
 木製架台の実験による結果や、金坂氏に教えていただいたザイルの結び方、また篠田氏の公開実験のことなど、数式や図示で細かく書き込まれていてとても興味深い。
 特に公開実験後の考察は『ナイロン・ザイル事件』に反映される前段階のものであり、その日付に転記したいと思う。
 また、篠田氏告訴のために刑法を書き写したりしている。
 緩衝装置の研究も進めており、特許の明細書の下書きも記されている。
 右の表紙をクリックしていただければ、全文ご覧いただける。父の緻密な考察がうかがい知れる資料なので、是非ご覧いただきたい。

3月8日 名古屋大学工学部にて「各種ザイル、抗張力・伸び試験」
國利氏と父による実験の結果である。クリックしていただくとご覧いただける。


3月上旬 メ-カ-側と遺族との会見 第2回目

 場所 愛知県津島市昭和紡機株式会社
 期日 昭和30年3月上旬
 同席者 東京製綱株式会社常務 岡堅治氏・東洋レ-ヨン名古屋工場事務部長 桂弘氏・東京製綱麻綱課長 高柳栄治氏・ザイルを販売した人 熊澤友三郎氏・昭和紡機社長 山本三千雄氏・遭難者の実父 若山繁二氏
 会見の要旨 石岡が若山(父)から聞いた話によれば、メ-カ-側の言い分は次の如くである。
 (1) この事件は前回山本氏の言われたように、当方も災難だと思っている。これによって受けた営業上の損害は実に大きい。
 (2) 4月に予想される遺体捜索についても、災難は両方だという原則で半分を出す。又、熊澤氏は捜索を一緒にしたい意向であったが、石岡氏と直接話したところ、岩稜会も若い者が大勢いることであるので、チ-ムワ-クの点で共同捜索は遠慮した方が良いと思うということで、これは止めることにした。又、捜索で使うザイルは無償で提供したいと申し入れた。
 (3) 遺族は事故の原因はザイルが悪かったと言われるが、当方では取り扱いが悪かったと考えている。(取り扱いが悪かったという言葉の中には、ザイルの結び方に関する熊澤氏の疑問がうかがわれた)
 注1、会見後前回同様犠牲者の霊に参詣していただいた。この後で、山本氏は東洋レ-ヨン桂氏に電話し「両者の見解の差が大きく誠意ある態度に出ていただきたいという前回の希望が叶えられる望みはないので、仲裁の労をとることを撤回する」旨伝えた。
 注2、岩稜会は蒲郡の東京製綱から遺体捜索のための麻ザイル相当量の無償提供を受けた。(3月30日)
 注3、遭難者の父若山繁二氏は、8月9日遭難者若山五朗の告別式当日、東京製綱株式会社、東洋レ-ヨン株式会社から各々香典5万円を受け取った。

 以上の様なことから、交渉は平行線をたどり決裂した。
 事態は、篠田軍治氏が行われることになった公開実験によって、ナイロンザイルの岩角欠陥が証明されるかどうか?また、五朗叔父の遺体発見で、身体にザイルが結ばれており、その結び方は正しかったか?また、そのザイルの切れ口はいかに?? ということで、結果が待たれた。 

3月15日 父宛 木下是雄氏からの手紙

 石岡兄
 先日石原君ご来訪の節は何のおもてなしもせず失礼しました。
 その節ちょっとお目に掛けたように、今月初めからナイロンと称する綱の単繊維(Mono-filament)を顕微鏡で眺めはじめました。国産外国産とりまぜて7~8種調べていますが、Mono-filament(以下m-fと略記)の太さはほとんど同じで0.04mmぐらいです。m-fの外観にも余り差はないようです。その中に複屈折性を調べてみるつもりですが、これは多少面白いことになるかも知れません。
 外観検査と並んで、手で引きちぎったときの切れ口の検査と、ヤスリ(目立てヤスリの◇型断面の←で尖った所を指してここの所)でこすった時の変形の仕方の調査をやりました。ヤスリ試験の方は、やり方も荒っぽいし、未だ何も言えませんが、切れ口の検査の方はおよそ(右手紙の図A.B.C.参照)のような3種に分かれるようです。
 そのへんまで判ったところで12日に桐生の伊東八郎氏(桐生市天神町群馬大学繊維化学科)を訪問してみました。伊東氏は繊維の強さの専門家です。
 そこで、上の結果を話してみたところ、たまたま伊東氏もこの正月頃から各種合成繊維のm-fの切れ方の顕微鏡写真を撮っていて(他の人が発表したdataはないそうです)、それによると
 1.Shockで切るかCreepで切るか(ゆっくり荷重をかける)によって切れ口の形が違う。大体速い時はB型、ゆっくりの時はA型になる。
 2.しかし、本当のNylonはA型だけらしい。Amylan(東洋レ-ヨンでナイロンと称しているのは実はAmylanで構造が少し違う)やSaranでは上記の法則でA,B型に分かれるようだ。
 3.この区別に単に過重性の区別だけでなく、温度(や湿度)にもよる。
ことが判りました。これらの法則性は小生の所でも試験してみるつもりですが、伊東氏は「事故を起こした切断部がそのまま保存されていれば、それを送ってもらって顕微鏡的に調べればどういう切れ方だったか見当がつく」と言っておられました。貴兄のことだからもちろん切断部は保存してあると思いますが、伊東氏宛或は小生宛に急送して下さいませんか。
 上のB型の切れ方でなぜ切れ口が膨らむのかは、実用的にはともかくAcademicには面白い問題ですが、よく判りません。伊東氏は一つの仮説を持っていましたが、小生とのDiscussionで、それはどうやらダメらしいということになってしまいました。
 小生の所では、伊東氏による切断部の検査が済んだ後で、切断部のm-fを数本ないし数十本抜き取って複屈折性の検査をする手筈になっています。つまりm-f内部のOrientation (Cmolecularな)が切り口からどのぐらいの範囲にわたって崩れているかを見たいという訳です。
 その他伊東氏との話の中でお役に立ちそうなこと2,3
 1.Nylon(Amylan?)の力学的性質は0°c附近で不連続的に変わり、低温ではモロサを増すらしい。
 2.日本のAmylanは50~60%も伸びるが、アメリカのNylonは20%ぐらいしか伸びない。これは主としてheat treatment(熱処理)の差による。東洋レ-ヨンでも伸びを20%ぐらいにしようと努力しているがモロくなりやすい。
 3.屈曲試験に対してはNylonは案外弱い。(もっともこれは試験法にもよるのでしょう)
 m-fはくわえられたところでLに曲がっている。全体を↔のように往復振動させ、切れるまでの往復数を調べる。(図は手紙2ペ-ジ目参照)
 4.伊東氏考案の屈曲並びに摩擦強度試験法(図は手紙2ペ-ジ目参照)
 5.綱に撚った後ではSetting(撚り止め)をするはずだ。それには120°cぐらいに蒸してplasticity(柔軟性)を増し、撚られた形を保ちやすくする。
 岩稜会の綱は他のSamplesに比べて固すぎるのは、この熱処理をやり過ぎているのではないか?
 結局今のところ、ナイロン綱の意外な弱さを説明すべき仮説として小生の脳裏を去来しているのは
 a.m-fの摩擦係数が小さいため綱としての強度が余り強くならないのではないか。特にshockの時にm-f同志が滑りやすいことが困った結果をもたらさないか。
 b.m-fの性質として(図は手紙2ペ-ジ目参照)という応力に弱いだろうと思われる。(これは実験する予定。綱については貴兄の実験がある)
 C.0°cを境として云々の低温の影響
 等です。この他に、岩稜会のcaseについてはsettingの時の熱処理温度が問題になるかも知れません。
 以上、乱雑ですが中間報告。
    木下是雄

 この木下氏のお手紙の中にある図A.B.C.についてであるが、59年間の時を隔てて、昨年の名古屋大学博物館での展示の時にお知り合いになったNITE(独立行政法人製品評価技術基盤機構)の菊池氏がおこなってくださった、切れたナイロンザイルの切れ口を現在の最新機器を使用しての調査の結果と、同じだったということが判った。
 右の表をご覧いただきたい。NITEが行った観察結果である。一番上の「事故品ザイルの破面」とは、五朗叔父の腰に巻かれていた8mmのナイロンザイルで、大町山岳博物館に寄贈して現在も展示してある物を、菊池氏が貸し出しを受けて検査された物だ。二番目の「事故品ザイルの破面」とは、五朗叔父遭難時に使用していたナイロンザイルの残部で、私が保存していた物を提供して、NITEでせん断試験をおこなった後の切れ口である。三番目は「現在市販されているザイルの破面」現在の8.3mm編ナイロンザイルである。
 木下氏が顕微鏡で観察された図A.が、脆性破壊。図B.が、せん断破壊。図C.が、延性破壊と酷似している。脆性破壊とは、もろくなって切れることで、鋭角の支点から一番離れた場所で起き易い。せん断破壊とは、断ち切るように切れることで、支点に一番近い場所で起き易い。延性破壊とは、伸びて切れることで、切れるザイルの真ん中辺りで起こり易い。尚、エッジの支点の一番近くで起きるせん断破壊は、ナイロンザイルの融点220°cに達して溶けて水玉状になっている。ナイロンザイルは、鋭い角にあたって摩擦熱が生じ柔らかくなり、以上のような状態で切れていく。
 このNITEの試験で、ナイロンザイルは昭和30年代から、父の調査や実験によって鋭い岩角に対して欠陥があることは判っていたが、現在の科学的調査によって詳しく解明された事は、意義あることだと思う。この詳しい報告については、このHPの以下のアドレスに掲載しているので、ご参照いただきたい。
http://www.geocities.jp/shigeoishioka/new32.html(NITEでの検証試験について)http://www.geocities.jp/shigeoishioka/new39.html(2014年10月3日 18:30-20:30「あいちサイエンスフェスティバル2014」さかえサイエンストーク<製品事故の原因を探るサイエンス-『氷壁』ザイル切断事故から最前線情報まで>講師 NITE製品安全センタ-参事官 長田敏氏)
アドレスをクリックしてくださればご覧いただける。
 尚、もちろんご存じと思うが、現在使用されている11mm,12mmなどのナイロンザイルも、昔と変わらず鋭い岩角には弱く、切れるのでご注意願いたい。
 現在のナイロンザイル切断での事故が起きにくい(皆無に近い)のは、登攀器具の進歩と、消費生活用製品安全法の安全基準(昭和50年)が出来たために、ザイルの一本一本に右のような注意をうながす警告と取扱説明書が付いたためである。
 このことは、父が成し遂げたことであるが、五朗叔父の遭難から21年の時を待たなければならない。その理由については、以後の章で詳しくご説明する。
 
 上記の木下先生の手紙の中に記載のある、群馬大学の伊東平八郎先生から木下先生に宛てられた手紙が、2016年3月25日に学習院大学の荒川先生が持参されたファイルの中に2通あったのでここに掲載する。

3月3日付 木下先生宛 伊東平八郎先生からの手紙


 拝復
 ナイロンの登山綱の件、ご期待に副えないかと存じますが、ご来桐をお待ち申し上げます。
 10日前は入学試験にて落ち着きませんので、12日にもしご都合宜しい様でしたらおいでいただきとう存じます。当日は山県先生もお待ちするとの事です。
 実は、本校には登山綱がございませんが、もし試料がお手許にございましたら少々お持ち願いとう存じます。早々
 3月3日  伊東平八郎
 木下先生

4月1日付 木下先生宛 伊東平八郎先生からの手紙

 拝復
 度々お手紙ありがとうございました。
 お送りいただきました試料、早速調べさせていただいております。
 定性的にしかまだ申し上げられませんが、切断した綱は、明瞭に何度が低下していたり、Brittle(もろい、壊れやすい、傷つきやすい)でして製造工程中熱を加え過ぎていると存じます。たぶん、熱処理の際、温度を上げ過ぎていると思います。
 切断箇所は溶融しておりまして、かつ、綱の切れ方から想像しますと、摩擦と剪断力とが働いたらしく見えます。直接的には、岩角による摩擦熱の発生(局部的な)が事故の原因と考えおります。
 近日中に試料お返し申し上げます。 早々
4月1日

同日 國利氏宛 慶応大学山岳部田辺寿氏
 2月19日付の國利氏からの手紙で、慶応大学山岳部の富士山での氷雪上スリップ停止訓練の時にナイロンザイルが切れかかった事の報告は受けたが、その後の父の質問事項に答えて、この手紙が送られてきた。


 26日以来ル-ムを離れており、雪の中から舞い戻ったのが11日という次第で、返事が遅れました。こうして幾度か手紙を書いていますと、行って来た山のことなど書きたくなりますが、それはさて置いてご質問にお答えします。
 ① テストの箇所が同一場所という可能性はほとんど考えられません。練習の都度動いています。
 三度目のテストで傷を受けたというのではなく3回~5回テストをやってから、私が偶然ザイルをたぐっているうちに発見したので、最初の1回目のストップか、3度目かは、その度毎にザイルを調べなかったので判りません。しかし、傷がつくまでは、総てブレ-ドに巻きつけて、ザイルを出さないストップです。
 ② ピッケルのピックを用いてのストップ練習は、当日これに従事した者は、始めての者が多く、最初はなかなか要領が判らず、飛ばされたりして、ザイルの締め具合、ピッケルの押え具合等一定していないと思いますから、ザイルへの力が一様とは断言出来ません。
 しかし、どうにか飛ばされないで止められた時、ピッケルのピックが一尺位雪面を切ってから止まっています。ショックはその程度ですが、墜落者の受けたショックは、当座直ちに記録しておけば良かったのですが、それを怠ったので、後にどの程度であったか如何かは゛感“に入ってしまうので、かえってお答えするのが危険と思い、傾斜の問題と共に、後に言います様に工学部の実験に待った方が良いと思っています。
 それからザイルの切れるショックは人体の破壊を意味すると云われますが、この二点について、今度お会いしてお話を聞かせて頂きたいのですが。
 ③ テストした所の傾斜は、わざわざ練習に選んだくらいですから、雪の固さと共にかなりのものでしたが、確実に度数でお伝えする自信がありませんが、30度位だったと思います。
 雪の固さはアイゼンのツアッケが、快適に効く位で、ツボ足では相当にけこまなければ登れない位です。
 ④ 以上、お答えの通り、ショック、傾斜等感じの話ばかりで客観性がありません。
 ただ、従来無かった(しかし、ピックを用いてのストップは日本の積雪期ではほとんど用いられることも少ないので、従来こういうストップ練習を先輩たちがやったかどうか判りませんが)様なザイル破損の事実があったということの説明に過ぎず、力とか傾斜に関して、客観性ある数字をお伝え出来ないのは、お恥ずかしい次第ですが、私共も何分にも文科系なので、数字とかH2O何とやらには、学がありませんので、慶応の工学部の教授達が総合的なテストを始めています。
 これは私共の部長先生が依頼されたもので、私共入山中でまだ詳しい話は聞いておりませんが、春山から帰り次第、小金井に出かけて見るつもりです。
 東京製綱でも今月末位に、蒲郡でテストをするといっておりました。私もこのテストを見せてもらうつもりでいましたが、春山から帰るのが4月6日になるので、見ることが出来ず残念に思っていましたら、16mmに映しておいて後で見せてくれるそうです。
 来月になると、かなり権威のある科学的なデ-タが出ると思います。
 私も帰京すれば直ぐにル-ムの方に覗きに行きますから、ル-ムの方に手紙を頂けば連絡取れると思います。
 どうも手紙は書き慣れませんので、ご覧の通り下手くそな字で失礼します。
 又、御不信の点ありましたら遠慮なくお出かけください。゛生命“の問題、お互いに協力していきましょう。
 それでは、小生今夜より剣に参り、来月6日には帰りますから、又東京でお会い致しましょう。
石原様    田辺

 この手紙には、3月末に蒲郡の東京製綱で公開実験が行われるとなっている。(その部分を赤字記載)
 2月9日の日本山岳会関西支部でのザイル検討会の後、この時点で篠田軍治氏が東京製綱からの援助を受けて実験されることが判っていたのである。

3月16日 春季捜索行計画書 岩稜会
 

3月24日 日本山岳連盟発会式の経過報告
 右に掲載した経過報告は、日本山岳連盟理事の父宛に送付された物である。経過報告の別紙に以下のことが記されているので必要部分を転記する。重要部分は赤字とした。尚、右をクリックしていただければ全文ご覧いただける。


 東京神田エビハラコ-ヒ-店にて、17:30-22:30
 関東地区岳連理事会

 1.ナイロンザイル使用停止の件
 東洋レ-ヨン、東京製綱より全岳連へ「今冬の遭難2件はナイロンザイルによるものである故、詳細なデ-タの挙がるまで一時使用を停止せられたい」との申し入れあり、今後の事故防止のため、早急に各団体及び登山者に連絡なされたき旨の依頼あり、各地方へ連絡せられたい。

3月25日 伊藤経男氏(岩稜会副会長・スポ-ツ用品店経営)宛 新保正樹氏よりの葉書

 先日はご多用中ご来訪賜りましたのに、何のお構いも致しませず失礼の程お許しくださいませ。
 その節、ご持参願うつもりでおりました文献、お渡し損ねましたので、本日別便でお送り申し上げました。尚、研究結果につきましては、いずれ篠田先生とご協議の上、ご連絡申し上げますから、それまでご猶予下さいますよう、その他の件につきましても、東レ、東京製綱の方とも話し合って進めたいと存じます。取り急ぎ右。

3月28日 東京製綱からのザイルの送付状と出荷案内書
 3月上旬に行われた「メ-カ-側と遺族との会見」の二回目の時に約束された、遺体捜索時に使用するための麻ザイルが送られてきた。
 この送付状の貼られていたスクラップブックの頁には、3月1日発行の『山と渓谷』189号に掲載された「執筆家通信」の熊沢友三郎氏の部分と父の部分が切り張りされていた。


3月28日 伊藤経男氏宛 篠田軍治氏よりの葉書

 拝啓
 3月24日付御手紙の件、御趣旨よくわかりませんが、御依頼の件は公務多端の折柄、到底貴意に副うことはできませんから、何卒悪しからず。
 尚、右と同様な依頼が三木氏から来たとしても、小生の返事は同様でしょう。
 右、念のため。

 この葉書にある24日付の伊藤氏からの手紙のコピ-は残されてないので、内容は不明であるが、その時進行していたと思われるナイロンザイル切断実験の経過について、訪ねたのではないかと思われる。
 それにしても木で鼻を括ったような文面である。

3月29日 岩稜会宛 石原務氏(一郎氏、國利氏の父上)よりの手紙 

 拝啓
 春暖の折柄、皆様にはお変わりはございませんでしょうか。
 扨てこの度愚息(國利)遭難に際しましては、逸早く駆け付け下され、何くれとなく心身も及ばぬ行届いた御厚情に預かりましたとの由、國利から承りました。全く感謝に耐えません。実は、参上篤と御礼申しあぐるのが本意でございますが、何分遠隔の地にて、その意を不得誠に相済まぬ事に思って居る様な次第です。就きましては、若山様の帰られぬ犠牲となって相果てられし事は、全くお気の毒の限りです。御家族様の御嘆き如何ばかりならざるやと想像するに余りあることでございます。甚だ失礼ですが、御一同様へ宜しく御伝言下さる様くれぐれも御願い申し上げます。
 先ずは略儀乍ら御礼申し上げます。
 3月29日    石原務
岩稜会御一同様

4月5日 父宛 今井喜久郎氏(岩稜会)よりの手紙

 前略
 別紙送状中の12mm200mは、30m4本と40mに切りました。他の70mの方も、30mと40mに切りたいと思いますが、8mm60mは切らずにそのまま上高地へ上げようと思っていますが、如何ですか。
 昨日、200mの分の6本、本多城でひねりを直したのですが、油の方はどうするのでしょうか。雪に対してならワセリンを塗ると良いと思いますが、ザイルそのものを柔らかくするためには2,3度使用してからの方が良いと思うのですが。(かなりゴワゴワして居ますが、そのままでも使えると思いますが)油を塗るのが良いのか、塗るのならばどんなものが良いか、お知らせ願えれば幸いです。
 尚、70mの12mmと60mの8mmの使用方法(用途)をお知らせ下さい。
 送状同封します。
 現品は送状通り受け取りました。
 4月5日    今井喜久郎
 

4月6日付 父宛 田中栄蔵氏からの手紙

 石岡様    30-4-6
 御返事遅れてすいません。
 4月末は、B沢はまだ雪崩が出ます。甲賀三郎(推理作家・戯曲作家)氏の子息(長男和郎氏、昭和15年、旧制松本高校在学中に北アルプスで遭難死)の時も出ました。この時は、V字状から落ちているのでInselの下を掘って探し出しましたが、今度はもっと上でしょうが、雪崩が出ていればもっと下に来ていると考えます。雪崩の観測者をつくって、その人の合図で退避する方法よりとれないでしょう。まずその前に、全般的にながめることと、推定位置を探ることです。ⅡTerr(テラス)などにはいないのではないでしょうか。A沢は3尺(約1m)と言われる点は雪が多いとナダレますが、春は大丈夫でしょう。松高ルンゼも雪崩には安全でないようですから、沢通しではなくて、尾根にル-トをとるべきです。
 裁判のことは判りませんが、対象となることはザイルが悪いから責任を取れということですが、判定や現場検証が非常に難しいことを、相当よく考えてみた上でないと、裁判になるかどうか疑問に思います。法律的にはできるでしょうが、決め手と言うものがはっきりしていないので、はっきり勝負が判定できなくなりはしませんか。相手も熊澤氏か東京製綱か判らず、両者となっても、これもどう解決するのでしょうか。
 自由法曹団は無料でやってくれるとは思いますが、裁判がすめば、党への献金を要請されるのではないですか。それが費用ということになるのではありませんか。(この点は誰か他の場合を聞いてみて、その金額を確かめておく必要を感じます)
 山登りでザイルが切れたからと言って、未だ裁判をした話は日本では聞きません。Test caseでしょう。ただ私としては、世間から変なことをしたものだと言われたくないと思う。感情的な問題は時間的に冷ましてゆくより外仕方がないのではないでしょうか。
 大兄の立場もよく解りますが、自分が悲劇の中にいるときは、その圏内から外の世界が見えないことです。ウィンパ-が4人を失って苦しんだ時と同じでしょう。やはり、ジッと耐え忍んで克服するよりないのではないでしょうか。現実は実に残酷です。しかし、生きている者はやはり、これを越えて生きてゆかなくてはなりません。悲しさの中には感情が入りがちですが、むしろ世の中の冷酷をこそ見つめなければならないでしょう。いかにこれに打ち克つかが問題です。それには冷静に真実をよく見極めて、対過してゆくより外ないでしょう。自分の心を抱いてその中で、公正に悲しさに堪えることは大変な苦痛ですが、やはり耐え偲ぶことでしょう。ただ、あとの人生に暗さのみを残さないように、すべきではないでしょうか。私はこうしたことを経験しませんが、(マチガ沢の雪崩で甥を失った)こう考えます。いくらか御参考になればと思って、口幅ったいことを書きましたが、お許し下さい。
 忙しいのでろくな返事ではありませんが―。
     スワタ栄蔵

4月21日 部隊長・父宛 三重大学教職員・学生有志からの手紙

 陽春の候、御清祥ととお喜び申し上げます。
 さて、本年一月本学学生、澤田、若山両君の穂高岳登攀中の遭難事故につきましては、貴会の皆様方に格別の御配慮を相煩わし、御厚志の程深くお礼申し上げます。本学におきましても有志発起の下に、右両君の御家族への御見舞いと、若山君の遺体捜索費の御救助申し上げたく募金いたしましたところ、本学教職員、学生から、39319円也の醵出を得ました。
 つきましては過日発起人会において協議の結果、右金額中、39319円也は近く貴会と共に若山君の遺体捜索に出かける本学山岳部の費用の一端としてお渡し致し、残りの1万円也は捜索の一段落つくまで暫くお預かりし、澤田、若山両家への御見舞い金としてお贈りすることとなりました。些少の金子ではございますが、我々の微喪お汲み取り下さりますと共に、今後の捜索につきまして、どうかよろしく御高配の程お願い申し上げます。
 先は右御報告かたがたお願い申し上げます。
 昭和30年4月21日
  三重大学教職員、学生有志(発起人代表 大柿護)
岩稜会 石岡繁雄様 石原一郎様

この後、春期遺体捜索、そして問題の篠田軍治氏の公開実験へと続きます


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<その4:ナイロンザイル事件の勃発>へご案内いたします




2015年5月23日記