その11:『氷壁』の進展と父の苦悩

昭和32年2月8日~4月25日


 2月8日 『氷壁』(76) 「雪の部落」(12)
 以下は、ナイロンザイル事件関係スクラップブックNo.2に切り貼りされていたものである。
 平成18年1月30日94版新潮文庫の『氷壁』では175頁の最後より6行目から177頁最後より4行目の文が、この新聞連載に当たる部分である。貼られている「井上靖」の文字は、井上先生の直筆である。



 父がこの連載を読んだ時の感想は、上に貼付けてあるが、読みやすいように以下に清書する。

 『ナイロンザイル事件』は意外なところで進展をみせることとなった。安川茂雄氏に送付したものが、井上靖氏の手にわたり、31年の冬、安川氏、石岡、石原(國)、黒田は井上氏宅で話し合った。井上夫人は、終始この話を聞いておられた。『氷壁』はついに朝日新聞に載りはじめた。そして、ついにナイロンザイルという活字が載った。石岡はこのナイロンザイルという活字を胸の中を吹きまくる感慨を味わいつつ、穴のあくほど眺め続けた。

 連載中の『氷壁』にはじめて「ナイロン・ザイル」と言う言葉が掲載されたのは、実はもっと前である。いよいよ前穂高東壁にアタックをする場面で…

―8時きっかりに、魔法瓶の口より茶を一杯ずつ飲んでザイルをつける。長さ30m。ナイロン・ザイルは初めてなり。(上記、新潮文庫『氷壁』114頁)

と、短く出てくる。しかし、切り貼りの連載箇所は、「ナイロンザイル事件」の核心部分であったので、父はこの部分を遺したのであろう。
 この連載のあったときか、映画になってからかは忘れてしまったが、ある時家族団らんの夕食時に母が緑茶を運んだ時に、父が一口飲んで「ネギ臭い」と言ってニャッと笑った。そして「お茶に指が入ってネギの臭いが付くなんて、井上先生も変なことを考えるもんや」と言った。最初はみんな「エッ!」っと言う感じであったが、それが『氷壁』の中に出てくる八代教之助と美那子の会話の一部(新潮文庫『氷壁』58頁)であったことに気付いて笑いあった。それ以来、しばらくの間、お茶が出ると家族は「ネギ臭い」を連発していた。


 3月25日 大阪地方検察庁へ陳情書下書き
 以下の陳情書は、名大教授、三重大教授等によって出された陳情書の父が作成した下書きである。


 この陳情書が出された経緯について、父は以下のメモを遺している。

 3月中ごろ、諏訪多栄蔵氏と高須茂氏が石岡宅で一泊された。そのとき諏訪多氏から『篠田さんの弁護士団から陳情書が提出されている』と聞いた。そこで石岡は、大阪検察庁に対し、何らかの意思表示をせねばと考え、名大助教授畑田さんに相談し、上記を作成した。お願いした人は誰しも気持ちよくサインしていただいた。

 文中、高須茂氏は登山家でジャーナリスト、「岳人」他の編集同人、民俗学者である。畑田重夫氏は名大公務員宿舎に住んでいた頃にお隣さんだった方で、法学部助教授であった。


 3月29日 三重県山岳連盟宛の黒田正夫氏からの手紙
 登山家で理化学研究所名誉研究員、工学博士であった黒田氏からのこの手紙は、石岡宅に来られて父と激論を交わした後で書かれたものである。その時の様子が、父のメモとして遺されている。

 須賀先生の紹介で黒田正夫氏がこの事件に関心をもたれるようになった。4月、黒田さんは石岡宅を訪問、ついに激論となった。深夜となりハイヤ-がみつからないので、黒田さんを送り激論しつつ歩いて行ったのが印象的である。黒田さんは要するに「とても勝てないから告訴をとり下げよ」と言われるのである。

 右に掲載した手紙の内容は、とても興味深いので読みやすいように以下に解読清書する。

 三重県岳連御中
 32.3.29       黒田正夫
 石原國利氏に篠田軍治氏への告訴を取り下げを勧告されるように、この手紙を差し上げます。
 今朝、石岡繁雄氏にお目にかかって、その間の事情を伺い、31.11.22の評議員会議事録を拝見した結論です。その理由は次のようなものです。
1. 裁判が勝訴になるかどうか疑わしいと思います。
 この訴えは少し見当違いです。要は篠田氏が実験結果を一部隠蔽して発表、ために石原國利氏と澤田榮介氏とがザイル・テクニックを誤って若山五朗氏を墜落死に至らしめたとの社会の屈辱を受けたというにあると思います。
 これなら関根氏その他も同罪であるべきです。しかし、問題は活字にならないところがあると思います。即ち、篠田氏が東京製綱からcommissionをもらって、発表をことさらにまげたか否かにあると思います。それが実験費実費として出された時、公務員の賄賂罪になるか否かだと思います。それなら、民事でなく刑事訴訟をすべきです。
 その的確なる証拠をもって、刑事訴訟にかえるべきで、検事局が取り上げるだけの材料がありやなしやに問題はかかってきます。
 これが成立しない以上、唯、篠田氏の発表が石原氏等を怒らしているほどの名誉棄損とは社会通念はとらないでしょう。
2. 議事録7頁(ハ)の結論"即ち以下“が本問題の決定点であります。しかし、ここには論理の飛躍と実験の不完全があります。"状態の再現“は本報告の程度では不足であり、誰も石原氏の報告を否定していません。唯、原因の推測に不一致があるだけです。これだけをもって名誉棄損は構成されないと思います。
3. 科学的実験としては次の重大なる点についてふれていません。
 3・1. 試料の採取方法の検討及び統計的検討
 3・2. 実験温度の影響
  2・1. 寒冷時における静的強さと脆さとの増強。
  2・2. 摩擦による発熱とザイルの温度上昇に及ぼす周囲温度及び相手材質の形質
  これが本問題解決のKee pointであります。
 3・3. 鋭角の数量化の確定
  議事録本問題を岩角に於けるザイル中の応力集中による衝撃破損といっています。実験が角度だけを問題にし、隅角の突端半径の定量的実験がないので、3・2.と共に問題の核心をつく、定量的判断は行われません。よって、結局は常識的水掛け論に終わり、裁判まで持って行くほどの具体的解決は求められません。
 以上の二点につき、本問題は名誉棄損などの民事裁判に訴えるべきではなく、嘆願書にあるように寧ろ社会的道徳の問題であって、法律的の解決を求めるべきものとは思えません。敢えて本勧告を提出する次第であります。
 そして、基本的解決のためには3.のような実験を行って、ナイロンにどれほどの信頼性があるか否かを決定すべきであります。
 関根氏その他が言うような、取り扱いの不注意で切れるようなものなら、一般用登山綱としての価値はないものと思います。
 少しくらい、アイゼンで踏んだとて、湿気を帯びたとて、使えなくなるような綱は危険で使えるものではありません。
 そんな深窓のおヒメ様のようなものに山で命を託していられましょうか。乱暴に取り扱っても大丈夫なものでなければ山用の道具とはいえません。
 最後に故若山五朗氏に深甚な悼意を表して、かかることが再び繰り返されないことを祈ります。 

 父のメモには4月としてあるが、実際は手紙の通り3月29日である。黒田氏は父との激論の後、帰宅してからその日のうちに手紙を書かれたものと思われる。
 

 4月1日 井上靖氏宛、父からの手紙
 篠田氏名誉毀損(きそん)告訴の問題で逆風も吹く中、徐々に追い詰められていく父は、井上氏にとんでもない手紙を出すことになる。その手紙は、父の死後、新聞社からの依頼でデ-タを提供したところ、以下の二つの記事が掲載された。



 この時、父の書いた手紙は、下書きと清書されたものが存在する。22頁に及ぶ長文であるが、全文解読清書してみる。

 
 前略 26日夜石原が帰って来まして、先生宅をお伺いしましたときのお話とか、また先生が加藤富雄氏に31日名古屋駅でお会いしたというお話を聞きました。(加藤氏には早速出かけて行って話しましたが、丁度友人と穂高へ出かけるところで、お目にかかれず誠に残念がっておりました。<私たちだけ名古屋駅でお待ちするつもりでおりました>しかし一昨日大阪行き中止の電報をいただき、無理にとめなくて良かったと思いました。なお加藤氏は4月3日に帰ります)
 『氷壁』を拝見しておりまして、時々お手紙差し上げたい衝動にかられますが、先生のご執筆に悪影響をもつのでないかと考えやめておりました。従って今回長々と記しますことは、誠に汗顔に堪えない訳でありますが、失礼やマイナスの点は(もちろんそればかりですが)お忘れくださることと信じ、もし万一プラスになる点がありましたらと存じて、厚かましくお手紙する次第であります。どうか御寛容下さい。
 今度の事件は、大衆の幸福にとって重大な意味を持つものと考えますが、この事件が社会にプラスとなるためには、検察庁の決意によって、こういう計画が結局+にならないということを相手に知ってもらうことと(現状は「メ-カ-は良心的だったが、山登りをチンピラ仲間によって罪をなすりつけられたのだ」という印象が公開実験の規模の大きさと、篠田氏の権威と、時期が適切であった…後になればなるほど人々は忘れてしまいます…ために、未だ残ったまま―告訴の新聞記事によって、ごく一部の人々には真相がわかっているでしょうが―と考えます。結局、インチキをした方が得になるということです。このことは逆に、石原國利の名誉は、石原國利の社会ではいろいろ説明することによって回復されますでしょうが、地下に眠る犠牲者の名誉は、その家族が山とは全く関係がなくなっておりますから回復される機会なく社会の印象「メ-カ-は良心的だったが…」がそのまま残り、そういう村人の疑惑の中に眠っているという状態です)
 この事件のもつ意味を大衆が知ることによって、大衆自らの目覚めと、今後の予防をはかることが必要と考えます。
 後者のためには、一般には新聞がニュ-スとして取り上げてくれる以外にはない訳ですが、しかし紙面に限度があり、このような複雑な事件は到底意をつくさない恨みがあると考えていましたが、突如天から授かったような先生の『氷壁』によって、この困難な目標が一挙に解決されようとしており、誠に感激にたえません。
 いずれにしましても、事件のキ-ポイントとなる検察庁の態度と、先生の『氷壁』とは、この事件を社会的に生かすための車の両輪であると考えています。P.R面については、今や心配はありませんが、前者の面についてはかなり不安がありますので(石原が大阪地検での話、篠田氏の上申書のことなど申し上げたと存じます)石原が持参しました書簡(念のため同封しました)を担当検事に送ることによって、いささかでも+にならないかと考え、若干送付しました。(現在署名捺印を得て、検事宛送付した分は、名大では法学部長 信夫清三郎博士(この方の兄さんが朝日の編集局長と聞いています)他教授3名(学生部長、篠田氏と懇意の応用物理学教授 須賀太郎博士を含めています)三重大学教授7名、三重県山岳連盟会長以下役員10名です。阪大の内部でも、私の友人がとってくれることになっておりますが(4月2日にその結果がわかります)あまりあくどくならない方が良いと話し合っておりますので、実績は少ないと思います。
 釈迦に説法で恐縮の限りですが、この署名を求めようと考えた動機について若干述べさせていただきたいと存じます。署名文の意味は注意義務の危機を訴えているつもりです。さて、この事件のもつ社会的な意味の一つが、注意義務の危機であると考えたのは、最近判決のありましたチャタレ-裁判の模様を新聞で読んだときであります。田中裁判長は「法律は道徳の最低線を守るものである」と述べてみえます。私はこの言葉を反復繰り返しているうちになるほどと思いました。チャタレ-裁判の判決に際して、被告に犯意及び罪の意識がないと仮定しましても、純文学(かりに善とします)とワイセツ罪(かりに悪とします)の境界線をあの場所に引くのでなければ、ワイセツというものは単に見解の相違となって、事実上なくなってしまうと裁判長は考えて、被告の犯意の証明の有無にかかわらず、そういうことは悪いことだ、そういうことがワイセツ罪でない限り、世の中の秩序は保たれないとして判決したのではないか、少なくともその意識があったと思いました。この線の引き方が妥当かどうかは別として、そういうことが必要なときがあるということを感じました。
 今度の場合、言論の自由(死因はザイル以外にあるとか、ナイロンザイルは鋭い岩角にも強いとかいう全く誤った新聞発表の結果に対し、その結果が誤りだと知っていて何故それを言わなかったかという質問に対し「あれは強い方の実験で、弱い方は相談してからにしようと思った。<11月18日の会見-『ナイロン・ザイル事件』158頁。以下Nとします>これは毒入りの茶を、毒の入っていることを言わずに、毒が入っていないということを見せて、…後で何故毒の入っていることを云わなかったかという質問に、後で相談しようと思ったというのと同じ…また長越さんのいわれた大阪T氏の「何もいう義務はない。論説の自由だ。黙秘権だ」とか、生命に関する品物の販売で「新製品が出た時は、優れた点だけが強調される」<N175頁終わりから2,3行目>とか、現在の登山界のナイロンザイルの性能に関する誤りに対し「今後ザイルを売る際には、注意する必要を認める」<N171頁終わりから6行目>とかいったことがいえるという言論の自由)と謀殺(使えば切れるザイルを欠点のある事をいわずに勧めて殺人の目的を達する)との間のどこに、それは謀殺の側だ(悪だ)といって線を引くかということが問題になると考えるのですが、今回の事件であの前記のような重大な新聞発表に対し「弱いことをいう必要はない。それは新聞社の軽率だ…登山者がナイロンザイルの欠点で墜死しても、実験の見方が悪いのだ。優れた点だけが強調されるのだ」という言い訳が通るようならば、もはやすべての謀殺は「言論の自由」で片づけられ、大衆の生命は守り切れないと考えます。しかし、この線は今回の事件を通じて引かれるべきものではなく、周知の「生命に関する品物を取り扱う人々に課せられている危険防止のための万全の注意義務がある」という道徳によって、あらかじめ自動的に築かれているはずのもので、チャタレ-の田中裁判長の場合より簡単と考えます。どんな犯罪でも説明次第によっては、見解の相違で別に犯罪にならないという可能性はあります。いわゆる単純な殺人とみられるものでも「罪と罰」のように考えれば、殺人者に犯罪の意識なく、また客観的にみても悪くないようにみえます。善と悪の間に線を引くことは難しいが大切なことと考えます。しかし一方メ-カ-が品物の欠点を明らかにしていたのでは、売れゆきに影響しますので(常磐大助の言)「儲けるためには、自分たちが生きてゆくためには、人のことなど考えておれない」という考え方もたしかにあると考えます。こういう考え方のメ-カ-にとっては、この義務、従ってこの線の引き方は、確かに迷惑です。しかしもちろん、もしこういう考え方が通れば、謀殺は事実上犯罪でなくなる可能性があり、世の中は闇となります。どうしてもこの事件によってはっきりと線が引かれ、大衆の生命の安全が確立されなくてはならないと考えます。
 もしも今回のこの事件で線が確立再認識されなければ、今後このような事件は次々発生し、おそらく追及されることはなくなると思います。つまり今後、このような大資本家、学者を相手に戦う者はいなくなると考えるからです。
 自分たちのことを云うのはおかしいのですが、このような恐るべき相手に対して純粋に社会のためという目的で、数十万円の犠牲(私たちには大きいと思っています)と心身の浪費をするようなバカなものが、今後出ないように思われるからです。おそらくメ-カ-の誘いの手にのって(メ-カ-から、おいで下さいという手紙を二回もらっております。<N183頁、189頁>妥協してしまうのではないでしょうか。(はなはだ傲慢な言い方ですが)私たちはこの事件は、民主主義を守るための天王山だと考えています。(そういう意味からすれば、署名文書に先生の御署名も得たいと考えます。時期が今が良いかどうか問題ですが)いずれにしましても、この事件がウヤムヤになれば、この注意義務の道徳は、有名無実として危機に瀕すると考える次第であります。従って別紙署名を注意義務に限ってやってみようと考えたのであります。
 次にますます恐縮なことを申し上げて申し訳次第もありませんが『氷壁』の今後の筋について「お前だったらどう考えるか」という質問をいただいたとすれば、次のように申し上げると思います。傍観者というものは、実に勝手なことを言うということは、今回の事件を通じまして、私の痛感したところでありますが、どうか先生もそのようにお聞き流しいただきたいと存じます。
 今回の事件を小説として取り上げていただくことの問題点は、先生が先日言われましたように「目下進行中の事件だからできるだけ事実(もちろんみなされるもの)に基づいてやりたい。そうでないと一方を不当に傷つけることになる」換言すれば、万一そういう場合、先生ご自身に名誉毀損によるモンチャクが発生しかねない点だと思います。(先生に名誉毀損の訴えを起こす可能性はメ-カ-以外にはありませんが、全日本山岳連盟に提出したパンフレット<これは是非読んでいただきたいと思います。特に(9)の新保氏に対する質問はそうです>22頁質問(7)(8)の内容を社会が知れば、誰しも憤慨せざるを得ないもので、このことはメ-カ-も知っているはずです。したがってメ-カ-としては、事を大きくしないように押さえつけ、事件を虚空のこととして無視することだけしか出来ないはずで、逆に名誉棄損などすれば、天にツバキするようなものだと私は信じています)また私としまして、この事件の発展状況によっては、つまり非常に不利になった場合には、業務上過失致死による告訴を、誠に不本意ながら起こすつもりでおります。もちろんこれにつきましては、もしお差し支えなければ、先生のご意見も伺わせていただき、その可否、時期など考えてゆきたいと思います。これをやれば事件を混迷にさせる大きな不利があります。もちろん民事の損害賠償は絶対いたしません。(時効は33年1月1日までです)
 さて、小説の筋について感想を述べさせていただきます前に、私としまして『氷壁』に対する願望を記させていただきます。
(1) 名誉毀損による石原の訴訟の理由が、一般社会はもちろん、山岳界にもまるでわかっていないようでありますので、その点を知らせていただきたい。(社会人は何故、業務上過失致死または損害賠償でやらないかと考えます)…この点は、これまでの経過で誠によくわかり感激しておりますが、名誉毀損のうち、死因に関する疑いは、はっきり浮き出ていますが、刑法233条容疑「いたずらに虚偽を流布して他人の信用を毀損したもの…」の点がこれまでは明らかでないように思います。(私の読み不足かも知れません。なおこの場合の犯罪の動機は「誰も見ていない場所なのを幸として、自分たちの失敗をメ-カ-に転嫁しようとして、と考えます…この誰も見ていないということが、お互いに有利であり不利でもあります)この点は、次のような例は一般にも分かり易いのではないかと考えます。全く蛇足で申し訳ありません。
 Aは「Bデパ-トから純毛と書いたセロファンで包んだシャツを買って来たが、これにはスフが半分も入っていたので、それを取り換えて欲しいとデパ-トに申し出た」Bデパ-トでは直ちにその原因を調べた結果、それは包装の入れ間違いであることが判り、他にもそういうものが少数あることが判明した。当然Bデパ-トは「包装間違いという誠に珍しい当方のミスで申し訳ない。直ちにお取替えします」というべきである。しかし、Bデパ-トではそういう方法では、下手をすればBデパ-トは、そんな軽率なことをやっているかと信用に係わるので、そういう正当な方法は面倒だと考え、相手を嘘つきにして一挙に信用を保とうと計画し「スフが入っているといって持って来たシャツは、調査の結果純毛であることが判った。おそらく当店にケチをつけようとするものであろう」と著名学者による分析表を掲げたとする。(こういう例は発覚の恐れなしとみれば、よく使う悪徳商人の手である)こうなるとAが、もしBデパ-トから前記233条で告訴されれば成立の可能性がない訳ではないことになる。もちろんメ-カ-は告訴するはずがない。(真相が知れれば大変)これで信用は回復したのであり、メ-カ-はウソツキのために迷惑を受けたという漠然とした印象を、社会に与えれば足りるのである。すなわちAは233条容疑者としての名誉の毀損を受けることになる。
(2) 生命の尊重、とりもなおさず注意義務の強調→生命に関するものでは、商品でも生命にかかわる欠点は、ためらわずこれを明らかにする→常磐大助の、商品には欠点があってはならないというのを、生命に関する場合には、そういうことであってはいけないという点を強調していただく。
(3) 社会指導者の使命…社長なり、そういう立場にある人が、非良心的なことをした場合には、下の人、それに関係を持つ人は、自分の生活を守るために、自分の良心に反して、良心をマヒさせて行動せねばならない。今回の事件でも、良識の高い人々が、実に意外な言葉を述べているのは、全て自分の首に係るから、またはそれらのメ-カ-の下請けのような立場にある商人だからであり、すなわち結局、多くの人々の良心をマヒさせてゆくのは、かかる社会の指導者のキマグレの非良心的な行いにあるといえます。そういう人々の社会的責任の大きさを強調していただく。
 さて、『氷壁』の筋について、全く事実に従って追ってゆくとすれば(私としてはそれ以外に脳がありません)なお『氷壁』で実験を当初は佐倉製綱がするはずでしたが、最近(特に4月1日のあらすじ)常磐大助がするようなふうに書かれてありますので、一体とどうなることかと私たちは心配しております)
 ① 実験に対する山岳会の期待。(N93頁終わりから5行目から以降2,3頁)
 ② 魚津実験を出身大学の装置で行う…ザイルの欠点を発見(1トン以上に耐えるはずの事故ザイルが、普通の岩角<66.5°>にあてて引っ張ると80kgぐらいで切れることが判った。驚くべきことで、これでは冬山の装備をつけてはぶら下がっただけで切れるので、ましてや墜落のショックが加われば切れないのが不思議。<N52頁>)
 ③ 魚津、八代教之助が実験をすることを知る。…佐倉製綱がすることは、すでにこれまでに載りました。
 ④ 魚津、八代に会い②の自分の実験デ-タを渡す。(N63頁)八代、魚津に死因はザイルの欠陥にあると言う。
 ⑤ 八代指導による公開実験の日時発表さる。
 ⑥ 魚津、捜索隊と共に遺体捜索に向かう。公開実験については八代の言葉があるので安心している。
 ⑦ 魚津、又白テントで公開実験を報じたK新聞を見る。(中日の5月1日の記事をそのまま書く。また山渓の「メ-カ-も科学的テストを行って保証している」を書く。(N92頁5行目の枠内)
 魚津、実験はインチキだ。手品だと叫ぶ。捜索の協力者は魚津を狂人視し、捜索隊の活動は弱化し、捜索は打ち切らる。(実情は捜索者は岩稜会であったが、大体そうでした)
 ⑧ 魚津、遺体発見までは(ザイルの遺体装着の有無が分かるまでは)何を言うも無駄と知る。
 ⑨ 登山界の魚津に対する非難の集中。小坂の母、魚津を告訴すると言う。(芦別事件、3万円の罰金刑。N104頁) かおるは、魚津を信じてくださいと、泣いてとめる。
 ⑩ 夏、遺体捜索に向かう。発見さる。小坂脛骨骨折即死→ダビの模様。木の間をもれる満月、天を焦がす炎。遺体についたザイルの模様。(一定長さの糸クズ。岩角のスリキズ。実験の結果と全く同じ)
 ⑪ ダビにしたその朝、魚津は公開実験に立ち合った旧友Bに奇遇する。Bの話。(犯罪行為。紙をはる。岩角が丸い。八代の行った公開実験前の秘められた実験の存在。(事故ザイルは麻の1/20のデ-タ)
 ⑫ 現場調査。岩角にナイロンの糸屑付着する。(一定の長さ) まさに奇跡。残っていたのはまさに奇跡と考えます。この点を強調していただく。
 ⑬ 常磐、八代教之助に会う。八代、あれは強い方の実験だと言う。弱い実験は魚津と相談してから発表するつもり。もちろん事故条件で切れるということは、当初からわかっていたと言う。(N172頁) 商品というものは優れた点だけを発表するものであると言う。常磐、普通の商品ならばともかく、命に関するものでは、それは困る。(ミルクの例をとる) ザイルだから問題なのだ。一体登山者の生命はどうなるのだと詰め寄る。
 要するに『氷壁』の結びは…
 八代が矛盾をカバ-せんとして、必死に闘う姿。時をずらし、当時の事情を動かす。→N
                                 ↓
◎ N本文の22頁(資料のそれでない)             「篠田氏に対する蒲郡事件以外の質問」のうち、22頁終わりから6行目追記をよく読んでいただき、矛盾をカバ-せんと、闘う姿を描いてもらう。
 それに対して、大衆の生命の擁護と、真実を守ることを頭にかざして追求する。
 常磐、魚津の姿→全日本山岳連盟に出した9項目の公開質問…(この質問状のことは、11月23日の朝日の朝刊に載りました。<当地では>)
 とてもややこしくて、小説にはなりませんでしょうが、要するに以上は、事実に沿って並べただけで、たわいのないものです。
 次に本事件についての新聞社の態度は、私は次のように考えます。
 朝日新聞だけが当初から(N33頁「切れたザイル」)無色であると考えますが、毎日、中日は(もちろん、山岳関係の雑誌はいうに及ばず)共犯(事前に知っていた)、少なくともこれを知っていた記者が少なからずあると考えます。
この裏付けはもちろんありますが、推測の部分もありますので、お目にかかったときでないと誤りを伝える恐れがあります。こういう新聞記者は、公開実験のことを、あれはあれで正しいという見解をとっています。(または、全く沈黙しています)こういう見解を注意義務の危機、すなわち生命の危機と考えて良いと思います。言論の自由と同様です。
 私としましては、事件をその点にまで拡大しては、かえって社会に+にならないと信じますので、一応篠田氏の線でとめたいと考えてます。しかし検察庁の監査の結果によっては、そこまでゆくかもしれません。また逆に検察庁にそれがわって、かえって監査をストップさせるかもしれません。
 いずれにしましても、朝日が小説という形で取り上げてくれたのは刺激を弱めて最良の方法と考えております。もちろん、それに先立つものは先生の御勇気で、今更でもありませんが敬意と感謝に言葉もない次第であります。
 勝手なことばかり拙筆拙文で記しましたが、要するに私たちは先生の『氷壁』は、正にこの事件を生かすための重大な存在であると考えますので、先生にはその点を誤りなく伝えていただきますよう、私共一同地に伏してお願い申し上げる次第であります。なお、当地ご通過のときなど、是非お立ち寄りをご予定の中に入れ込んでいただき(名古屋の拙宅でも、鈴鹿でも)切断したザイル(血がこびりついています)、現場の岩角の石膏(苔がついております)、岩角に付着していたナイロン屑等見ていただければと存じます。
 加藤富雄氏も、今回は山行で誠に残念でしたが、いつにてもお手紙でも、またはお目にかかりたいと申しておりますので、当地へおいで願えればもちろんやって来ることと思います。神戸(かんべ)は海に近く、若松のカレイは有名でありますので、是非ご試食願いたいと存じます。母も最初は、この事件には大反対で狂人のように止めておりましたが、先生の『氷壁』が出てからは、打って変わって愛想が良くなり、先生に一度おいで願えれば光栄だと、常に申しております。
 以上、ご多忙の先生にくだくだとつまらぬことばかり並べて申し訳次第もありません。多分に重複しておりますので、もう一度清書すべきですが、ちょっと疲れてご容赦ください。
 4月1日     石岡繁雄拝
井上靖先生

 追伸
 4月2日に来るはずの阪大の友人がちょうど手紙を書き終わったときにやって来ました。友人の話によれば、阪大総長はじめ教授、助教授等数名に会って、いづれも長時間にわたって話をしたようです。その結果、いずれも事件の真相を知らず誤解があるようで、その友人自身まだよく勉強してなく答えが出来ず、結局、ちょっと不安になって署名を取るところまで至らず、それらの教官連の言うところを持って、私の家へやって来た訳です。昨夜3時まで石原兄弟と4人で話しました。その結果、非常によくわってくれて、もう一度やるというのですが、その友人が大阪裁判所の裁判長をよく知っているというので、むしろ阪大の教官はやめて、その裁判長がわかるまで話をして、裁判長から斉藤検事に働きかけてもらう方が結局早いのではないかということになり、そういうことで早朝別れました。
 阪大の教官の言を、その友人が想像するのに、篠田氏か誰かから、そういった事件の真相をずらせるような風評が流されているように思ったと言っておりました。それらの内容は、私にとってはいづれも承知のものばかりで、意外というものは一つもありませんでした。例えば次のようなものです。
(1) 事故ザイルはザイルとして出したものではなく、岩稜会にテストしてくれと言って出したものである。これに対し、4月29日の公開実験で事故ザイルをザイルと呼んでおり事故ザイルは従来の麻ザイルより優秀と見せている。また山と渓谷「メ-カ-も事故ザイルを科学的テストを行って保証している」と言っている。またあの8ミリのオレンジ着色ザイルを関西の著名登山家梶本氏も購入して山へ持って行っている。これを販売した熊沢氏は、手持ちの11ミリのナイロンザイルを売って、8ミリ2本買おうと考えていると言ったこと等。またそれがザイルであるかどうかは、業務上過失致死罪で告訴したときには問題になるが、蒲郡事件には無関係である。蒲郡事件は「ナイロンザイルは岩角で欠点を持つか」という仮説に対する実験であって、その欠点が死因かどうかということとは別である。
(2) ナイロンザイルが岩角で弱いことは事件の起こる前から分かっていたのではないかという疑問
 ⅰ新保正樹氏の『岳人』の記事…全日本岳連提出のパンフレット
 ⅱ篠田氏と話し合ったという木下是雄氏(学習院教授)の手紙(N48頁)
  ここでNotch effectとあるのは、岩角による劣化効果です。
 ⅲ熊沢氏、山と渓谷(30年3月)「現在の岳界の人々でこの問題に答えられる人はありません」…(N76頁)
 等々で問題になりません。
 いずれにしても蒲郡事件とは無関係です。要するに蒲郡事件は、仮説に対する実験ですから、問題は簡単です。例えば「ミルクにヒソが入っているかどうか」という仮説は誠に重大で、入っておれば死因はそれだと見なされる訳で、またこの仮説は危険防止の観点からそれを確かめる必要がある訳です。それを篠田氏はヒソの入っていることを知っていてヒソが入っていないと見せたのです。
(3) 篠田氏は、ナイロンザイルは弱いと認めているから、何もそれほど追求しなくても良いではないか。…これに対し、何故に、5月1日の中部日本新聞の記事が出たかよく考えてもらいたい。「死因は別にある。ナイロンザイルは鋭い岩角でも強い」という誤った発表は、誠に重大(●●)であって通常考えられないものである。篠田氏の過失とは考えられない。(公開実験であるから観衆はこの実験によって、何らかの印象を持ちたいと思って来ている。これらの観衆に誤った印象を与えては大変だということはわかっているはず。したがって篠田氏は観衆がどういう印象を持つだろうかと考えねばならない。事故の条件を再現して切れないと見せれば観衆が切れないという印象を持つだろうということは当然わからねばならない。それでは大変だとわかる筈である。観衆、皆が皆そういう印象を持ったことが、登山家の篠田氏だけにわからなかったというはずはない。(末尾に重ねて記します)それならば、何故5月1日の記事という重大なことになったか。篠田氏のような常識の高い学者がやっていて、どうしてかくも恐るべき事実があらわれたか。それについての疑問は、正に社会の重大時であって、今後の影響を考えるとき、絶対に明らかにされねばならぬものである。(『氷壁』においてもインチキだという点<魚津に言わせればよい>をなくしては、全く事件から離れると考えます)これによって大きな迷惑と、一方大きな利益を得たものがある。今この点をウヤムヤにすれば、今後同様の方法で、大きな利益を得るべく計画されることは間違いない。すべてが明らかにされて、大衆がそれを知る以外に予防はない。今、中途半端な解決をすれば、強大なメ-カ-の宣伝力によって、すべては岩稜会の軽率ということで押し流されてしまうことは明らかである。これでは社会は闇である。要は9項目の公開質問に、公開の席で答えてもらえばよいのである。(公開質問については朝日に掲載)
 私の友人はこの点を実によくわかってくれました。そして、それが起訴以外にないこともわかってくれたのです。また起訴が起きれば『氷壁』は実に楽になるのでないかと話し合いました。(失礼ですが)

 公開実験にわざわざ集まった人々は実験によって何らかの印象を得たいと思っている。それは不可解な(わずか50cmスリップでナイロンザイルが切れるという)事件の死因が篠田氏の実験、ゆえにわかるのではないかと考え、またナイロンザイルに果たして岩角欠点があるのかどうかわかるのではないかと考えて集まって来ている。このことは篠田氏にわからないはずはない。そうすれば篠田氏は既に死因がそこにあることを知っているのだから、またナイロンザイルにそういう欠点があることを知っているのだから、観衆がその点を誤りなく知るのでなければ、登山者の危険と同行者に迷惑がかかるから大変だと考えねばならない。それが良心の命ずるところである。それにもかかわらずその反対の結果を黙ってやるためには、すなわち良心の命ずるところに打ち勝つためには、それに勝たせるための別の力がなくてはならない。それはメ-カ-の依頼であったと考えるのは当然で、このような力はメ-カ-の要請以外に考えられないのである。

別紙①-1
  告訴人  墜落者の遺族代表
  被告訴人 東京製綱株式会社社長 三木竜彦
  罪名   業務上過失致死罪(または過失致死罪)
 告訴の大要
 昭和30年1月2日、北アルプス前穂高岳東壁で若山五朗が死亡した原因は、ザイルであると称して販売した品物がザイルとしての性能を持っていなかった。すなわちそれはザイルでなく単なる補助綱であったのである。これは業務上過失致死罪に該当すると考えるので事故ザイルを製造したメ-カ-の社長を同罪で告訴する。
 主な証拠資料
(ⅰ) 東京製綱の製品を販売する業者熊澤友三郎は事故ザイルを新製品の保証付きザイルと言って販売した。
 a.山と渓谷社はメ-カ-は事故ザイルを保証していると述べている。
 b.30年4月29日、東京製綱での公開実験で事故ザイルをザイルと呼んでいる。
(ⅱ) 事件後の研究により、事故ザイルはザイルとして重大な欠陥を持つことが証明され、事故ザイルを作成した東京製綱の雨宮氏は事故ザイルをザイルと呼ばず補助綱と呼んでいる。(N156頁)
(ⅲ) 31年3月19日、スポ-ツニッポン新聞で、東京製綱の高柳は事故ザイルを使うなと言っている。
(ⅳ) 切断したザイルの模様、現場調査、死亡の状況、その後の実験によって死因は事故ザイルがザイルとしての性能を持っていなかったためであることが証明されている。…篠田軍治氏、昭和30年11月18日これを認める。

 なお、これらの岩稜会で行った実験結果は全て昭和31年10月、11月、12月号の『岳人』(山岳雑誌、中日新聞発行)に発表されている。 





















 文中の下線は、父自身が引いた箇所である。
 この父の手紙のように、石原國利氏も先生のお宅を訪ねた時に「公開実験は弱いものを強いと見せた手品です。登山者の安全がかかっています。このことを『氷壁』のなかに書いてください」と訴えられた。先生は「私が書いているのは小説で、ドキュメンタリ-とか勧善懲悪ではないのだから」と、困ったような顔をされたと言うことだ。この長い父の手紙の全文を、当時殺人的な忙しさであられた井上先生がお読みになったとは思われない。「石岡さんにも困ったものだ」と苦笑されてお蔵入りとなったように思う。当時、ワラをもすがる思いであった父は、『氷壁』の思いもかけぬ展開に歯痒い思いをして、このような手紙となったのだと思うのである。このような手紙は、この先数通出されることになるので、日を追って解読清書してご紹介させていただく。


 4月8日付 父宛、石原一郎氏からの葉書
 岩稜会の登攀隊長で部隊長と呼ばれていた石原一郎氏は、家業を継いで福岡県直方市にいらっしゃったが、父の実家に下宿されて津島商工業高校の先生になられた。この葉書は、その時に書かれたものである。以下に清書する。

 昨日津島に着きましたが、今日始業式で初めて生徒の前でものを喋りました。一年生を受持つことになり、授業の方は一年簿記(12)、二年法規(4)、金曜日津島高校にて商業経済(3)と云うことに決まりました。荷物がまだ着きませんので着いてからお伺いします。
 こちらでは皆さんに大変お世話になっており、九州での別離の悲しみを忘れます。
 元気でおりますからご安心下さい。

 先にも掲載したが、この4月には、石原國利氏も大学を卒業されて、父と同じ名古屋大学学生部の事務職として就職され、名古屋の石岡宅に下宿される。ご兄弟揃っての愛知県への移住は、岩稜会の仕事をし易くするためであり、ナイロンザイル事件を闘い抜くためであった。遠く故郷を離れて、登山者のために闘いを続けられるお二人の心中は、計るに余りあるものがある。

 4月 「告訴についての見解」岩稜会前会長石岡繁雄著
 この印刷物は、告訴の経過が思わしくなく、焦燥感の中で書かれて、父の知人や関係者等に配られたものと思われる。
 告訴に至る経緯をしたため、井上先生宛の手紙に書いてあるように例をあげて説明した後、最後にこうつづっている。


 すなわち、発覚のおそれなしとみれば相手をウソツキにして、自分の利益をはかろうとするわけである。
 私は恐るべき事件の疑問をとくカギとして、不当な新聞発表によって利益を得た者と、篠田教授とを関係づけようとするものではないが、上例のような想像も常識的に可能であり、かつすでにそういったことが風評として流れつつあるのだから、もしもそうでないとすれば、そうでないという納得出来る説明が早急になされることがメ-カ-にとっても有利ではないかと考える。
 石原君の名誉毀損による追求も、この点の解明なくしては、究極的な解決とはならないであろう。  以上

 右の印刷物をクリックしてください。全文ご覧いただけます。
  
  4月22日 石岡繁雄宛 櫻井節二氏からの手紙 
 味の素株式会社中央研究所勤務であった櫻井氏は、父の友人であった。篠田軍治氏が教授を勤める大阪大学出身だったので、右の手紙をくださった。以下解読清書する。


 石岡繁雄様  32.4.22
 もっと早くお便りできることと思っておりましたが延々となり、小生も気には掛っていたのですが、ともかく遅くなって申し訳ございません。
 お便りくださいました印刷物(上記「告訴についての見解」)、早速その日の晩に阪大病院長(宇山医学博士)の宅へ届け、お会いしました。あの印刷物は誠に適切な説明資料で、その点非常によく、前日の時より更に一層頭の中へ入ったようでした。実はその後、宇山博士からの通知を首を長くして待っていたのですが、本日お伺いしたところによると、学会その他で先週までは会える機会がなく、明後24日工学部長と面会される由、この間の資料は大いに参考になったと申されました。いづれにしても24日には工学部長の耳へ入ることになりました。
 さて、小生はこの間からその後の情勢をいかに観察するかについて考えておりましたが、理学部の教授で多分頼めると思っておりますT教授(頼みを引き受けてくだされば、名前を書いてもよろしいが今のところTといたしておきます)にお願いいたすつもりです。そのことからしても宇山博士がもっと早くお話しくだされば今頃ある程度の「反応」の模様をご報告できたと思ってちょっと残念です。
 もし、T教授が具合悪ければ、市田工学部長は民間にしばらくいられた方ですから、私の父の友人関係からでも話をしていただき、宇山博士のお話の反響を調べてもらうつもりです。小生も何か最近はちょっと「むき」になり過ぎてる傾向もありますが、貴兄にご迷惑にならない範囲で初期の目的に達するよう多少なりとも側面からの用意はいたすつもりです。
 お気づきの点がございましたら、お知らせくださるようお願いいたします。 草々
                                          櫻井節二

 文中の緑字は、私の注釈である。 
 この手紙の貼られたスクラップブックの下の余白には、父が次のことを書いていた。


 石岡の友人桜井氏(阪大出身)は、本件に全面的に協力、主として阪大の内部で努力されることになった。病院長、工学部長をはじめ有力な教授に会って説得して廻られる情熱には頭が下がった。


 4月25日 陳情書 名大法学部部長信夫清三郎氏他
 この陳情書は上記3月25日付の陳情書下書きが出された後で再度作られた物の写しである。内容は、上記の物と同じである。これは活字化されているが、擦り切れて読みにくいので、以下に清書する。


 〔別紙〕
 拝啓 陽春の候貴職には益々ご健勝にわたらせられ大賀至極と存じます。
 さて私達は、昭和31年6月22日名古屋地検に提出され、目下貴職の御審査になる告訴人石原國利氏、被告人篠田軍治氏にかかる名誉毀損罪の訴えに大きな関心を持つものであります。
 そもそも、事故が防止され大衆の生命が守られるためには、衆知の「生命に関する物品を取扱う人々には、危険防止のための万全の注意義務が課せられている」という点がますます強調される以外にはありませんが、他方、それを取扱う人々特に業者にとっては、面倒な製品検査とか欠点がある場合には、それを明らかにするなどの必要がおこり利潤に影響しますので、一部業者の中にはこの義務の軽視という憂うべき傾向があることも否定できません。
 私達が関心を持つ上記の告訴には、「当然この義務を強調かつ実践すべき国民の指導的立場にある学者が、それを無視して社会に危険な状態をつくった」という点に対する追求が本質的に含まれるものと考えます。
 本事件が社会的な問題として高まりつつあるとき、もしもこの正しい解決が社会に明らかにされず、ウヤムヤに葬られたならば、この義務の軽視という一部の傾向に足場を与え、この義務協調への努力が響きのうすいものとなり、ひいては、大衆の生命が守られるべき基本の道徳がくずれていくことが予想され、寒心にたえないところと考えます。
 貴職におかせられては、本件を充分に調査していただき、妥当な結果に導かれることを喪心からお願い申上げる次第であります。
                         敬具
 昭和32年4月25日
        名古屋大学法学部長 信夫清三郎 (印)
        名古屋大学教授
        名古屋大学山岳会会長 須賀太郎 (印)
        名古屋大学教授 小川太郎 (印)
        他 18氏署名捺印
 大阪地方検察庁
   斉藤正雄検事殿

 4月25日 ナイロンザイル事件担当の斉藤検事と石岡との会見メモ
 石原氏の弁護士森氏によって、斉藤検事に電話した際に伝えられた篠田氏名誉毀損罪「不起訴処分」決定予定の報告に、父は焦燥感の中大阪へ向かう。
 このメモは、井上先生に送られて返送していただいた物である。重要なメモなので以下に全文解読清書する。 

 井上靖先生,写真落手しました。先日の言葉たりなさを補いたいと存じ,参考資料として,これをお送りします。ご一覧後,返却お願いします。ぜひ終わりまで読んでいただきたいと思います。 

昭和32425日,大阪地方検察庁において斉藤検事と石岡が会談したときの覚書(石岡記)

備考
 遭難当時のリーダーであった石原國利から,篠田氏に対する名誉毀損罪の告訴の経緯

1.

1956(昭31)年

 6月22日

名地検に告訴

2.

 9月頃

大阪地検に移された模様

3.

1957(昭32)年

 2月21日

石岡,伊藤,石原の3名,大阪地検の斉藤検事に会いに行く

4.

 3月25日

名大法学部長・信夫(しのぶ)清三郎氏ほか20名から斉藤検事に要望書提出さる

5.

 4月24日

石原の弁護士・森健氏,斉藤検事に電話し,不起訴の決定を知る

6.

 4月25日

石岡,大阪に赴き,斉藤検事に会って,不起訴の決定を延期してもらう(本覚書)

7.

 6月

朝日新聞・信夫(しのぶ)韓一郎専務,篠田氏に会う

8.

 7月23日

不起訴決定

9.

 7月31日

不起訴のことが朝日新聞に発表さる

    (上記経緯中、信夫氏2名は兄弟である)

 1957(昭和32)年4月25日,大阪地検で行われた斉藤検事と石岡との会見……石岡の記憶 (4月26日にこれを書く)

(1)会見までの経過

 この事件について検事がどのような結論を下すかということは,いろいろな意味で重要である。これが不起訴になれば,世論は岩稜会の主張に完全に疑いをもつ。当然,陰に日向に篠田氏やメーカーの反撃があるものと考えねばならない。また,井上靖氏の朝日連載小説『氷壁』の今後に影響をもたらすであろう。なお,不起訴になっても,検察審査会への申し立て,その他,次の手段を考えるわけであるが,検察審査会は民間人11名で構成され,検察庁の決定に反対するためには,そのうちの8名が賛成しなければならない。それに場所が大阪であるため,結果が無駄であることは明らかである。今,有力な別の手段が考え出されないかぎり,起訴,不起訴は本件を社会的に生かすかどうかの一つのキーポイントとなることは確かであろう。


 さて,本件担当の斉藤検事に妥当な結果を出してもらうためには,我々は我々の主張をよく検事に伝えねばならない。一方,篠田氏は告訴が無意味であることを全力をあげて主張するであろう(篠田氏が弁護士に相談して出した上申書のごとく)。また,篠田氏はメーカーとつながりをもつことは当然であるから,メーカーは起訴させないためにメーカーからの検察庁への圧力が当然考えられ,担当検事の先輩,友人を通じ,その他,いろいろな方法をもってなされるものと考えられる。これに反し,経済力なく,社会的に弱い我々として,これに対抗する道は世論に訴え,それによる圧力以外にない。これまでなされてきた努力には岩稜会の印刷物配布(約300ページ冊子『ナイロン・ザイル事件』),三重県山岳連盟の声明,印刷物配布,全日本山岳連盟の動き(1956(昭和31)年11月22日の奈良県吉野市で行われた評議員会での決議),同じく11月24日,吉野での決議を伝える朝日新聞の記事,名古屋大学法学部長信夫教授ほか20名による署名文の斉藤検事への送付。その他,側面的なものとして,告訴を取り上げた新聞記事,NHK放送,井上氏の朝日新聞連載小説『氷壁』がある。
 さて,こういった事情のもとに,4月上旬,阪大出身の櫻井氏(同氏は私の友人であって,最近私の話を聞いてこの問題は放任できないと考えられ,阪大総長そのほか阪大職員に会って,いろいろと説明されている。最近では,阪大教授守山博士がこれを重大だと考えられ,その人から工学部長にこの話が4月24日に伝えられているはずである)が,大阪裁判所判事の三上氏に会って,これらのことについて話をされたところ,「相手方が弁護士を通じて動いている以上,こちらも地元の弁護士を頼んで常時働きかけないと不起訴になる心配がある」ということであった。
 私もそうしたいと思ったが,早急には困難であるので,とりあえず告訴をお願いした名古屋の弁護士森健氏に一度大阪へ行ってもらいたいとお願いした。
 森弁護士は,4月24日,斉藤検事に電話をかけ,「話をしたいが,いつ出向いたらよいか」と尋ねられたところ,「あの事件は不起訴と決定し,まもなくその通知をすることになっているから出てきてもらう必要がない」という返事であった。
 告訴人石原は,それを聞いて「斉藤検事は,正式には我々を一度も呼び出していない(2月21日に一度お会いしているが,それは呼び出しがあって出ていったのではなくて,告訴以来8か月になるが何の音沙汰もないのでこちらから出ていってお会いしたものである)。当局がこれだけ社会的に問題になりつつある事件について,もしも誤った結論をされたとすれば社会に及ぼす影響は誠に大きいと思うが,正しい結論を出すための十分な捜査がはたして行われたかどうか疑問だと考えるから,ぜひ一度お目にかかりたい。何とかよい方法はないか」とお尋ねしたところ,「総務部長の竹内猛氏は同級でよく知っているから,この人に頼んでみよう」と,さっそく電話していただいた。その結果,私が出かけることになり,翌25日,大阪へ出向いた。
 私としては,この不起訴の決定に私が納得できるまで,何日でも粘るつもりで悲痛な気持ちであった。しかし,これまでの2年にわたる努力と数十万の出費がすべて水泡に帰したかと考え,また,今後のいばらの道を思って車中暗然としたものがあった。
 大阪に着いて,さっそく前記櫻井氏に電話し,不起訴が決定された模様だと伝えた。櫻井氏も「それを心配していたが,こんなに早く出たのか」と非常にがっかりしてみえた。櫻井氏は「斉藤検事との話し合いに新聞記者と同行したらどうか」と勧められたが,大阪の新聞記者に知人なく,結局,必要なときは櫻井氏に出向いてもらうことにして,私一人斉藤検事に会うことにした。
 まず,竹内総務部長にお目にかかり,「ザイル事件につき,納得ゆく捜査をしていただきたいと思って出てきた」旨を伝えた。部長は了解され,私を斉藤検事のところへ連れて行かれ,部長は会議があるからと帰られ,検事と二人で話した。
 以下は,斉藤検事との会話の要点である。なお,( )の部分は,実際の会話はなかったが,この覚えとして付け加えておいた方がわかりやすいと考えて付け加えた。本来ならば「注」とすべきところである。内容は記憶であるから間違いがないとはいえないが,もちろん主旨に誤りない。

(2)会見の内容

斉藤  「昨日,あなたの弁護士から出てきたいという電話をもらったが,あの事件は不起訴と決定しているから出てきてもらう必要はないと返事しておいた。それなのに,どうして出てこられたか」
石岡 「先日(2月21日)お伺いしたとき,あなたは『加藤さん(加藤富雄氏,暁高校教官,本件に重要なつながりをもつ人)を証人に呼ぶ。また,あなた方にも今後2,3回来てもらわねばならないだろう』とおっしゃってみえたが,その後まったく呼び出しがない。不起訴という結論が,十分捜査されてのものかどうか心配である。ご承知のように,この事件は社会的にも問題になっており,もし正しい結論を出されないとなると大変だと思う。私たちは,あなたの決定に納得できなければ,どこまでも追究するつもりである。現に,昨日,電話で不起訴と聞いて,今後の対策について名大教授とも相談してきたところである。だから,今,納得させていただければ,不起訴となっても,今後そういった追究のための努力をしなくて済むのであるから,なぜ不起訴になったかという理由を知らせていただきたい。また,仮に,あなたの結論に誤りがあったかもしれないとあなたが考えられたならば,不起訴の発表はまだしてないのであるから,再調査され,正しい結論にもっていかれるようお願いしたい」
斉藤 「加藤氏やあなた方を呼ばなかったのは,篠田氏とも話し合い,十分調査の上,その必要がないと考えたからである。あなた方はあなた方の主張をされるが,当方としては,それを考慮の上での結論である。また,仮に本件を起訴してみても,無罪になるに違いないので,起訴するわけにはいかない。また,私は最近,捜査から公判に配置がかわったが,この件だけは私がやってしまうことになっている。公判に配置がかわったため,膨大な調書を読まねばならず,非常に忙しく,今この時間といえども忙しいので,話を続けることは困る」
石岡 「私は今回の不起訴という決定は誤りではないかと考えているので,それを発表される前に,どうしても私の話をもう一度だけ聞いてもらいたい。私の主張が決して無理だとは思わない。また,多くの人が私と同様に考えている。もし,あなたさえよければ,どなたでも第三者を入れて,私の主張が無理かどうか聞いていただいて結構である。また,今ご都合が悪ければ,夜,お宅へお伺いしたい。私として何日でも大阪にいるつもりで出てきている」
斉藤 「仕事は夜も持ち帰っているので,夜来てもらうことは困る」
石岡 「お仕事が忙しいといっても,5分や10分のお暇はあると思う。その時にお話しさせていただけないか。私としては何日でもこの場所におり,お話しいただく機会をもちたい。また,その間,不起訴の発表を待っていただきたい」
斉藤 「しかし,篠田氏を呼んで話を聞いたが,責任を追及するようなところはない」
石岡 「ごく簡単に,もう一度言わせていただきたい。『万能だと思われていたナイロンザイルが,鋭い岩角にかかった場合は重大な欠点をもつ。つまり,そういう場合には,ナイロンザイルは麻ザイルよりも弱いということと,死因はそのためだとみなされる』ということを,すでに公開実験当時知っていた学者と,中部日本新聞という一流新聞の組み合わせにおいて,『ナイロンザイルは鋭い岩角でも麻ザイルより強く,欠点をもたない。また,死因はザイルが岩角で切れたためではないとみなされる』という記事が写真入りで大々的に発表された。これを例で言うと,『ミルクに毒が入っていて,乳幼児の死はそのためだ』ということを知っている学者と一流新聞との組み合わせにおいて,『ミルクには毒が入っておらず,死因もそれ以外にあるだろう』と大々的に発表されたと同じである。言うまでもなく,この記事は大衆の生命を危険に陥れるものであり,また同時に,当時すでに知られていたように,死因に関して,個人の名誉を傷つけるものである。名誉というものは,朝日新聞の論説にもあるように,金で買えることのできないものであり,一度傷つけられた名誉は容易に回復するものではない。こういう生命の危険状態の発生とか,人権の不法侵害が絶対あってはいけないと,十分の上にも十分気をつけているはずの学者と一流新聞によって,この恐るべき事実が発生したのである。まったく常識では理解できないことであり,新聞史上空前の不祥事と思う。……斉藤検事うなずく……この責任はどこかにあるはずである。もし責任はどこにもなく,したがって追及される必要がないとすれば,今後このようなことはいつでも発生するわけである。また,仮に追及しても,ある理由で責任者が出ないとすれば,今後その理由でこういう恐るべき事態が後を絶たないことになる。大量殺りくの目的を達したとしても,その理由をつければ追及されなくて済むということになりかねない。こうなれば,殺人予備罪とか謀殺というものはなくなり,社会秩序は根底からくつがえる(私は謀殺がわかりにくいと思って,指で机の上に『謀殺』と書いてみせる)。この責任は必ずどこかにあるはずだから,二度とこのような恐ろしいことがないように十分追及してもらわねばならない。裁判長の最終決定はともかくとして,少なくとも公共の福祉と個人の人権を擁護するため,それに反する事実が発生した場合は,それを追究することを任務とする検察庁においては,絶対に取り上げてもらわねばならないと思う。今回の事件は,学者の署名文にもあるように,万全の注意義務という生命を守るべき根本の道徳を危機に導く性質のもので,実に影響が大きく,放任することはできない。私たちは,これは単に個人的な問題だけでなく,社会の問題と考えて公訴を要求しているのである。また,これだけの新聞,知識人,山岳人がそれを求めているのに,もしも検察庁が事実にほおかむりしたり,理由も示さずに葬ろうとしたりしたとすれば,それこそ大変だと思う。また,無罪になるかもしれないということで,事実を追究しないでおくということは検察庁として許されないことだと思う。私たちは,その責任は篠田氏にあると確信するのであるが,あなたが篠田氏にその責任がないとおっしゃって不起訴にされるのならば,私たちは直ちに中部日本新聞社を告訴する。いずれにしても,私は,私たちを支持していただく大勢の人々とともに,どこまでも学者と一流新聞によってつくり出された,史上空前といってよい,また,今後に計り知れない影響をもつ,この恐るべき事実の発生原因を追究する。追究だけが再発を防止する唯一の道だと考えている」 
斉藤 「篠田氏は『実験をしただけで,文字で書いて渡しておらぬ。また,中日の記者が公開実験を見に来ているとは知らなかった』と言っている」
石岡 「この事件くらい犯罪の証拠が揃っているのは珍しいと思う。ただ,事件が複雑なだけだ。名誉毀損罪は,ご承知のように危殆犯であって,必ずしも相手がそれを信ずるという結果を必要としない。また,表示犯であって,必ずしも文章で書く必要はなく,マンガ一つ描いても言葉で言っても成立する。個人の人権を守るためには,常識から考えてもそうでなければならないはずである。また,公開実験であるから,新聞記者がいようといまいと問題にならない。中日の記事は,そういう表示があったということを示す客観性に富む一つの例に過ぎない。ご承知のように,判例『演説の全趣旨および当時の風説その他の事情によって,一般聴衆をして何人がいかなる醜行をなしたかを推知せしむるにたる演説をしたときは名誉毀損罪が成立する』の『演説』を『実験に』,『聴衆』を『観衆』に置き換えれば,そのまま当てはまる。一連の文字(文章)が示す『全趣旨』と,一連の実験が示す全趣旨とは同じことである。むしろ実験こそ,文字よりも何よりも印象は強く,誤りも少ないと考えられる」
斉藤  「篠田氏は犯意を否定している。新聞社に書かせたことはないと言っているし,そういう印象を与えるつもりはなかったと言っている」
石岡 「そうすれば,中日の重大な誤失または犯罪ということになり,それを否定している中日と篠田氏との水掛け論ということになるが,この空前の不祥事が水掛け論で終わっては,またこういうことを再発させても水掛け論をすればよいということになる。この恐ろしい事実が水掛け論で終わるとすれば,その原因はあなたの追究不足以外にないと思う。私は,すべての責任は篠田氏にあると確信している。もちろん篠田氏が犯意を肯定し,『そういうつもりでした』というはずはない。ご承知のように,犯意は結果の認識があればよい(これを故意という)。この場合,自分がこういうことをやれば一般登山者には生命の危険が,同行者には死因に関する疑惑という死にまさる迷惑が,かかるかもしれないという認識があればよい。もちろん,篠田氏はそういう認識があったと自分から言うはずはないから,認識があったとみなされることが客観的に証明されればよい。この証明が困難な場合でも,チャタレイ裁判のように(ここまで言ったとき,斉藤検事は私がこの例をあげることをさえぎられたが,このメモとしては記しておく方がよいと思って記す。チャタレイ裁判の場合には,被告は『あれは純文学でわいせつではない』と真実考えていたかもしれない。すなわち,結果の認識はなかったかもしれない。同時に,認識の客観的証明は不可能であろう。しかし,裁判長がそういうものをわいせつとするのでなければ,わいせつという犯罪は有名無実となってしまうと考えれば,社会秩序維持のため,被告の認識の如何にかかわらず有罪として一線を引きうるのである。もとより,チャタレイ裁判の場合の線の引き方が正しいかどうかは別である。今回の場合でも,学者のそういう行為が,ある言い訳によって結果の認識がなかったという前例ができれば,社会の秩序は保たれないと裁判長が考えれば,篠田氏に結果の認識があったかどうかという証明の有無にかかわらず有罪とすることもありうるわけである。ましてや,検察庁としては公共の福祉にとって重要であると考え,しかも判例に基づいて刑法の一つに該当すると確信すれば,裁判長の場合よりもっと積極的に追究する義務がある),今回の場合,私は結果の認識についての証明は簡単であると思っている。もちろん,篠田氏が精神異常者でないという仮定が必要である。これを,ごく常識的に言えば,たとえば,新聞社に書いたものを渡したというような場合は,その内容を読者に知らしめる目的であったとみなされることは常識である。それと同様に,観衆に実験を見せたという場合は,その内容を観衆に知らしめる目的があったとみなされるわけである。社会的に問題となっている最中に,実験の内容を相手に知らせるという目的なしで,公開実験をするということはありえない。もっと詳しく言えば,次のようになる。篠田氏は多くの観衆が自分の実験を見ていることを知っている。自分の実験はザイルを使い,かつ,事故ザイルと事故当時発表された条件を使っている。観衆が自分の実験を見て,ナイロンザイルの性能と死因について何らかの印象をもつことを知っている。一方,篠田氏は,自分のやっている実験が『90°,45°の岩角でもナイロンザイルは麻ザイルよりも強く,また,事故条件ないしそれよりさらに落下距離の大きい実験で事故ザイルが切れない』というものであることを知っている。したがって,篠田氏は,観衆がもつ印象の内容はナイロンザイルの性能と事故の原因について前記のものであることを知っている。ゆえに,篠田氏は観衆が自分の実験によって,どのような印象をもつかということを知っていた。すなわち,結果の認識はあった(故意であった)ことが証明される。要するに,篠田氏は石原の発表した条件で事故ザイルは簡単に切れる場合があるということをよく承知しておりながら,事故ザイルはそういう場合でも切れない。つまり,事故の原因は石原の発表以外にあるという印象を,それに気づいていながら(故意に)観衆に与えたことになる。このことは同時に,そういう印象を観衆に与えることは,登山者の生命にとって重大だと知っておりながら,黙ってその印象を与えたことになる。こんなことは,学者でなくったって,恐ろしくてできることではない。到底,良心の呵責に耐えられないところである。その良心の呵責に抗して行うためには,それを行わせるだけの別の大きな力が作用しなくてはならないのである。この事件は,この力の捜査にまで及ぶのでなければ究極の解決にはならないと思う」
斉藤 「しかし,ザイルが切れる実験もやっているではないか」
石岡 「すべて品物の性能には限界がある。何mも落ちて切れるというのならば,別に不思議はない(睡眠剤を十倍量飲んで死んだとしても別に不思議ではない)。問題点は,告訴人石原が『50㎝ぐらい滑っただけで切れた』と発表したことにある。篠田氏は,例えば47°の岩角に事故ザイルをかけたときは人間が静かにぶら下がっただけで切れることを認めてみえながら(いわゆる篠田氏の欧文発表に書かれてある。1956(昭和31)年度,阪大のレポート51ページに,Ishioka6)69㎏ for 47° Wedge(8㎜) としてある。このデータは,私が1955(昭和30)年2月9日,大阪朝日新聞での篠田氏ご出席のザイル切断検討会の席上発表したデータの一部である。同時に篠田氏は,事故ザイルを岩角にかけた場合には麻ザイルの1/20の力しかないという実験をやってみえる),45°の岩角を使って事故条件の50㎝落下で切れず,3m落下させても切れない実験を黙って見せておられる。ここが重大である。登山者はこういう使い方をするであろうが,そうであれば大変である。篠田氏に,それは大変だということがわからないはずはないのである」
 (斉藤検事は私に廊下で待っているように伝える。約15分して廊下に出てこられ) 
斉藤 「決定を延ばし,再調査することにした。加藤さん,実験に立ち会った中部日本新聞社の記者,実験の岩角を作った石屋の住所氏名を調べてほしい。なお,私は多忙であり,それにこの事件は複雑だから,早急に結論を出すわけにはいかない。結果は半年ぐらい先になると思うが,遅れたからという理由で文句をつけないでほしい」
石岡  「ありがとうございました。遅れることは何とも思っていない。しかし,最後にもう一つだけ付け加えたいことがある。それは次のような風評があることである。『篠田氏が公開実験のとき,ナイロンザイルの欠点を知っておりながら言わなかったことはけしからんが,後からナイロンザイルは弱いと本当のことを言っている。つまり,反省の跡が十分あるとみえるから,情状酌量してあまり追及しないようにすればどうか』というのがあるが,ここで大切なことは,篠田氏が後でナイロンザイルが弱いと言ったのは反省とはまったく無関係で,このことも含めて計画された犯罪とみなされるという点である。この点,ご留意ありたいと思う」
斉藤 「後から解消することを含めての犯罪とは何か」
石岡 「たとえば,これは浮貸しのようなものであって……」
斉藤  「たとえではなくて,そのもので言ってほしい」
石岡 「当時メーカーにとっては,信用を一挙に回復するには公開実験当時のあの世論の盛り上がっている雰囲気のときに,『ナイロンザイルには欠点がなかった。メーカーは良心的だったのに,不届き者によって罪を転嫁させられ気の毒であった』という大々的な宣伝が必要であったわけで,これを半年も経ってから『ナイロンザイルには欠点があった』ということが徐々に知れても,もはやたいしたことではない。また,別の方法で焦点をずらせていくことができる。篠田氏は,ナイロンザイルの欠点を永久に隠しおおせることはできぬので,いつかはこれを解消せねばならない。したがって,解消するということは当然計画の中に入っていたとみなされる。ただその時期と方法とが大切で,もしもこれを誤ると,元にまでひびが入ることになる。この解消の方法は,次のようになされた。まず時期は半年遅れ(10月),場所はそうした追究の少ない学会で,発表内容はナイロンザイルは岩角に強くて弱いという妙な表現であった。これらのことは,なぜもっと早く発表しないのか,篠田氏は日本山岳会関西支部長なのだから何はともあれ,なぜにまず登山界に発表しなかったか,などの疑問に答えられる性質のものではない。ましてや,次の疑問には答えられないと思う。学会発表前の9月には,日本山岳会でザイルの検討会があり,篠田氏がその説明をされているが,篠田氏はこの席で当然ナイロンザイルの重大な欠点を言わねばならないのに,なぜ何も言わなかったかという疑問である。結局この理由は,もしこの席で発表すれば公開実験の矛盾が指摘され,公開実験のインチキがばれることになるかも知れぬと篠田氏は考えたからだと推測する以外に説明はつかない。つまり,これは登山界に一時的な危険状態を発生させ,石原等の名誉を相当期間毀損させることによって,メーカーに不当な利益を得させるという犯罪である。これは学者以外にはやろうとしてもできない犯罪である。逆に言えば,篠田氏は,メーカーの断り切れない頼みという大きな力によって,自らの良心を麻痺させたのである。もちろん,こういう恐ろしいことを頼む方も悪いが,篠田氏さえ人間としての,学者としての良心を麻痺させさえしなければ,この犯罪は成立しなかったのであるから,この意味で篠田氏の責任の方が大きい。頼むメーカーは商人であり,篠田氏は国民に奉仕すべき公務員たる学者である。学者が犯罪に協力すれば,どんな恐ろしいことでも完全犯罪となってしまうであろう。たとえば浮貸しのようなもので,浮貸しはもともと元金を返すというのが計画の中に入っている。元金にまで手をつければバレてしまうからである。浮貸しによって大きな利益を得ている者を,元金は返したのだから,反省の色ありとみるのは的外れと言わねばならない。こういうことでは浮貸しは悪いことではなくなり,後を絶たぬことになる。今回の事件は,生命の浮貸しである。一般登山者の生命をある期間危険にさらすことによって利益を得るという性格のものである。金のそれとはまるで重要さが異なる。つまり今回の場合,篠田氏といえども,いつまでもナイロンザイルが岩角で弱いということを隠しておくことができないことを承知している。半年なり,一年なり,この危険状態と,犯罪容疑者としての個人の人権侵害を続けることによって,信用の保証という大きな利益が得られるのである。つまり,生命の浮貸しである。金の浮貸しよりも遥かに悪質である。盗人が盗品を自発的に返すのとはわけが違う。盗人は品物それ自体が目的であるから,それを自発的に返すことは反省の色ありとみられるわけである。篠田氏の場合,これをもって情状酌量の余地ありとして追究を止めれば,こういう手っ取り早い不法利益を得る計画を阻止する手段はなく,国民はそのたびに生命の危険にさらされ,生命を落とす者も生じ,個人は踏みつけられる。さらに恐ろしいことは,学者の署名文にもあるように,国民の指導的立場にある学者のかかる態度が追及されもせずに容認させれば,危険防止のための万全の注意義務という大衆の生命が守られるべき根本の道徳が有名無実となって,真に恐るべき社会となることである。篠田氏が真に反省されるならば,社会に対する陳謝以外にない」 
斉藤 「それは犯罪が成立したときの話だ」
石岡  「もちろん,そうである。ただ,申し上げたいのは,篠田氏が『ナイロンザイルは弱い』と言ったということをもって単純に反省とみなし,不起訴の材料としていただくことは,公共の福祉の維持にとって甚だ危険だという点である。公開実験のときに当然言わねばならぬことを,なぜそれまで延ばしたかを考えてもらいたい」
斉藤 「要するに,先に言った証人の住所氏名を調べてほしい。必ずしもその全部について調べるかどうかもわからないが」
石岡 「石屋については,メーカー側のことだから,あるいは調査ができないかもしれないが,他は大丈夫である。ご多忙のところ,お話くださって衷心より感謝申し上げる」   
 私は嬉しくて仕方がなく最敬礼をした。その後で櫻井氏に電話し,一緒になって交渉経過を話し,今後の対策について話し合った。その要点は,「危機一髪のところで不起訴を食い止めることができたのは幸運であった。しかし,油断がならないから,今後とも十分注意せねばならぬ。検事の態度はどうもおかしい。盗人の現行犯をつかまえ,盗人から『引っ越しの手伝いをしているのです』と言われて『ああ,そうか』と言っているのと同じではないか。これでは盗人は後を絶たない。今後とも検察庁の動きを注意していることが必要である。このためには,大阪の有能な弁護士を頼むのも一法である。さっそくそういう人を探してみる。また,石岡が何度も大阪へ出て来ることも大切である。しかし,たとえば,加藤氏が証人として出頭したときをチャンスとして新聞に書き立ててもらうこともよいではないか」などであった。櫻井氏は阪大の内部でますます努力することとなった。
(この覚書の写しは,4月28日に井上靖氏に送付した)

 
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2018年2月16日更新