2022年3月12日・13日

石岡高所安全研究所お別れ会

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―事の起こり
 研究所の隣には地元の大きな病院の先生方のための寮があります。2020年1月にその病院の事務局長さんから、寮の駐車場にするために研究所の土地を譲って欲しいとの申入れを受けました。当初はそんな気は毛頭なくお断りしていましたが、新型コロナウィルスが猛威を振るうようになってからは研究所を訪れる方もなくなり、私も古希を過ぎて研究所の維持管理が難しくなって、散々考えた挙句、断腸の思いで手放すことを決意しました。
 今年に入ってその病院の事務局長さんに連絡を取り、売却の意思表示をしましたところトントン拍子で話しが進み、決算のこともあり今月末には引き渡しと決まりました。
 父が命がけで努力してきた研究の象徴である研究所がなくなることはとても悲しく、父に申し訳ない気持ちでいっぱいですが、名古屋大学大学文書資料室に寄託してあります父の資料の文書資料室検索システムに載せるための目録作成作業に明け暮れる毎日ですので、その仕事の完遂で父には許してもらえるのではないかと思っています。
 では、石岡繁雄の志を伝える会の研究所お別れ会と、石岡家母屋に設えた父の展示室開設作業の様子をご覧ください。


3月12(土)

研究所明渡前の神事

参加者:藤田さん・相田さん・水野さん・森川さん・前田さん・小川隆平さん・私
10:00 集合
11:30 神事開始



8:10 相田さん到着
お仏壇にお参り

埼玉から車でお越しくださった相田さんは
前日から近くのホテルでお泊りくださった
とのことでした。
拙宅でお泊りいただくべきだったと
大いに反省しました。


9:30 定刻より早く来てくださった皆さま
と自室にて

今回のお別れ会のために用意した
記念品を披露する私。
中身は私の親友の妹の子が作った
アイシィングクッキ-とブラウニ-です。

研究所のオブジェをモチ-フに

山の形をあしらったアイシィングと
吹き出しに書かれた
「研究所ありがとう」の文字。


研究所に移動して…

展示の時に使用した黒ボ-ドの中から
一番綺麗そうな2枚を選び分けました。

11:00 藤田さん到着
11:15 神戸宗社の神主さん到着

神主さんが祭壇を組まれます。


祭壇に供えられる野菜


神事を待つ皆さま

中日新聞の酒井記者が来てくださいました。
右より、相田さん・藤田さん・酒井記者・あづみ・水野さん・前田さん・森川さん


11:30 神事がはじまる

神妙に整列する皆さま。
カメラマンは隆平さんです。


神事の古式に則った祈りを奉げる

小太鼓の音も高らかに

後ろで写真を撮られる酒井記者


紙吹雪が舞う



お酒を撒いてお清め

両端で清められる



最後に真中で…

心を込めてお酒を撒く


玉串の奉納

まずは私から…


相田武男さん

元朝日新聞記者で父とナイロンザイル事件を追い続け『石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実』本を共著してくださいました。私たち「石岡繁雄の志を伝える会」の元会長です。


水野高司さん

「伝える会」の統括です。
文書資料室の目録作成作業のためにパソコンから離れられない毎日で、少し前から足を悪くされて今では杖が必要なほど…傷む足を抱えても尚目録入力に専念してくださっています。


藤田壯二さん

岩稜会の最若手で、若い頃から父の研究の手伝いをしてくださっていた方です。資料の整理作業の時もご協力くださっていました。


森川文夫さん

豊田高専山岳部創設者のお一人で、初代山岳部長を勤められました。パソコンをされないので、文書資料室の仕事には参加されていませんが、事あるごとに飛んで来てくださいます。


小川隆平さん

奥さまの小川はつこさんと共に会員です。
はつこさんは昼間はご都合が悪くて参加されていませんが、お二人は鈴鹿在住で近いのであれこれと手伝ってくださいます。


前田幸雄さん

豊田高専山岳部OBで我が会唯一の山男です。私と同じ年とは思えないほど体力があり、力仕事は任せとけ!といった感じ‼大いに助かっています。


無事神事が終わって…



私からのご挨拶

「遠いところおいでいただきありがとうございました。…」



山形オブジェの前にて

オブジェに取り付かれる前田さん
これも山は山だね(^-^;



12:30 ランチ



神事お疲れ様でした

―午後からの作業予定
 事前に皆さまに以下のことをまとめたファイルをお送りしてありました。

 

31213時から13日午前中の作業に付いて(参加者:12日、神主さんと藤田さんを抜いた神事参加者+午後、立岡夫妻、16時~はつこさん。139時~は全員参加)
1. 研究所12階にある物の中から、皆さまに形見分けの品を選んでもらう。
2. 同1階の展示の際に使用した黒ボ-ドの中から綺麗な物を2枚選ぶ。
3. 母屋2階の古道具を1階仏間奥の押し入れに入れる。
4. 母屋1階の展示用のパネルなどを母屋2階の奥の部屋へ運ぶ。(パネルはガラスケースへ、その他は押し入れに保管)
5. 母屋1階のパネルの置いてあった部屋に、研究所から黒ボ-ド2枚とミニ実験機(付属品とも)を運ぶ。(黒ボ-ドは粘着テ-プで綺麗に掃除すること)
6. 黒ボ-ドと山の額を所定の位置に設置する。
7. 
研究所の石岡家取り置き分のダンボ-ル箱を納屋に運ぶ。


3.からの作業のはじまりです。


母屋の急な階段で古道具を降ろす皆さま

割れ物いっぱい!慎重に降ろされます。

先祖から伝わった古道具の運搬

足腰の弱った私は一番下。


降ろし終わった古道具



収納場所の押入れ前に置かれた古道具

二階に運び上げられた展示品など



ガラスケ-スに入れられたパネル類

展示用備品とパネル



パネルの山

伊勢街道沿いの展示室に運び込まれた黒ボ-ド


黒ボ-ドのゴミを取るあけみさん
4回の展示をクリアして来ただけあって
手慣れたもの!熟練工だね‼


倉庫に入れられた研究所の品々



あれこれと山積み
 

研究所と家の間を往復される皆さま

裏庭のシンボルクスノキ
この部分も病院に引き渡します。


17:40 お別れ会会場の「魚長」の玄関




「活穴子会席」のメニュ-

今夜は穴子づくしです(*^-^*)

はつこさんも加わって…

やっとみんな揃った!


お疲れ様でした‼「カンパ-イヽ(^。^)ノ」



小川夫妻

やっぱり、はつこさんが入らないと
はじまらないね☆彡


立岡夫妻とお邪魔虫の私

ビ-ルを前に舌が出る( *´艸`)

分厚い穴子と前田さん



ご機嫌の水野さん

話しに花が咲いて…



真剣に話される相田さんと…

今夜の相田節は何かしら?


水野さんと森川さん

同級生のお二人は仲良し。

森川さんと前田さん

先輩、後輩の仲です。

 

はつこさんとあけみさん



女性陣3人で…

「ハ-ト作ろうよ


乳母桜は健在!



20:30 お開き

アッと言う間の2時間半でした。


生け簀に居るのは?

ウナギ?ドジョウ??
もちろん穴子です。

21:30 拙宅の自室にて

夜が更けるまで…
延々と話し続ける私たちでした。。。


3月13日(日)
9:00 作業開始


研究所1階の作業場にて

前田さんのお友だちにもらっていただくために重い機械類を取り外して、前田さんの車に乗せました。

機械類を乗せ込んだ前田さんの車

溶接器具や鉄等を切る切断機など。
展示用のミニ実験機を作成させていただいた前田さんのお友だちの工場に運びます。またこれらの機械を使用させていただくことがあるかも知れません。


残された作業場の品々

病院側には現状渡しと言う事になっているので、これらの品は病院側で処分されることになると思います。。。

倉庫に入っていた古いスキ-

見たことも無いような古いビンディングに
ビックリの立岡さんとはつこさん。
私には懐かしい品です。


研究所二階の事務室にて

最後に各部屋で記念撮影をしてくださるようお願いしました。


父の机を囲んで…

二階の実験室にて



1階の作業場にて

残されたザイルの山

新品のドラム巻きのロ-プや実験に使用したザイルなど、様々な種類のロ-プがあります。
誰かもらってくれないかしら?

ボ-ル盤

このボ-ル盤から
数々の発明品が作り出されました。


お疲れの水野さん

本当にご苦労様でした。。。

手放すことにした裏庭の花々と別れを告げて

見納めとなる花々を一つずつ愛でる皆さま



御神木のようなクスノキ



やっと実がなるようになった
サクランボの花

老木の白梅



素敵な香りの水仙

水野さんと共に作った枯山水

ロ-プのあるところが、境界線です。
手水鉢が少し病院側にかかっています。


もうすぐ色とりどりの花が咲く花壇

手前から、スパラキシス・イキシア・ラペル-ジア(?)、中心がアガパンサス、所々にキキョウ・ガ-ベラなどなど…


おやつを食べながら一休み



時間が余ったのでもう一仕事!

展示室にパネルを貼ります。


貼り終わっパネル



山の額とありし日の研究所の雄姿

左下は北穂の小屋の小山氏作の滝谷で、研究所の事務室に掛けられていた物です。


13:30 皆さま帰路に着かれます

横浜から参加の立岡夫妻のご帰還
長丁場の運転!気を付けてね。


またケルン墓参で…

お会いできる日を楽しみに(^^)/~~~


 鈴鹿の家は築130年の旧家であちこち壊れて、毎年のように少しずつ手は入れているものの、耐震工事には何千万円と言う費用が必要でそれを捻出することができぬまま現在に至っています。
 私には二人の息子がいます。ぞれぞれが名古屋と東京で仕事を持ち、鈴鹿に来る気はないとのことです。今年古希を迎えた私を心配して名古屋に住む長男は、鈴鹿の家をたたんで息子の家の近くに小さなマンションでも買って住むようにと言ってきています。もちろん今は文書資料室の仕事もあり引っ越しなどできるはずもなく突っぱねていますが、老いては子に従えで早晩には引っ越しを余儀なくされることになると思っています。
 そんな中、不甲斐ない私は、とうとう父の大事な研究所を手放すことにしてしまいました。ご先祖が大事にしていた拙宅の裏庭の土地も、草取りなどの管理が出来ず手放すことにいたしました。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 せめてもの言い訳のようにミニ展示室を作りました。
 このHPをご覧の皆さま!お近くに来られることがありましたら、是非ミニ展示室を覗いてしただけましたら幸いです。
 今後も体力の続く限り父の志を伝えるべく、文書資料室の仕事に邁進して行きますので、どうかご支援の程をよろしくお願いいたします。

      2022年3月19日  石岡 あづみ記