-惜別-

石岡繁雄の志を伝える会 顧問 石原國利氏逝く


令和5年1月29日6時10分 享年92歳


1月29日

 石原國利さん、通称國ちゃんについては、何度もこのホ-ムペ-ジに登場願っていますので、皆さまご存知のことと存じます。
 この悲しいお知らせは夕4時にもたらされました。
1955年1月に前穂高東壁を登攀中、ナイロンザイルが切れて若山五朗叔父が墜死した時に同じパ-ティだった澤田榮介さん(2022年11月3日、死去)の奥様からの電話によるものでした。沈痛な声で「國ちゃんが今朝亡くなりました。息子さんが國ちゃんの交友関係が解らず連絡して欲しいとのことで、うちに電話がかかってきました。私も國ちゃんの交友関係についてはよく解らないので、皆さまにお伝え下さい」と。突然のことで蒼白になり、声が震えました。
直ぐに岩稜会の連絡係、藤田さんにお電話しましたが連絡が取れず、森泰造さんにお電話しました。森さんから毛塚さんに伝えていただくようお願いして、伝える会の会員に連絡を廻しました。その後、九州の岳人の方々にお知らせしなければと思い、尾登憲治さんにショ-トメ-ルを入れました。その時点では國ちゃんの通夜・告別式のことがはっきり解らなかったため、解り次第、追って連絡することにしました。その後、お通夜は31日18:00から、告別式は2月1日の昼と解り、急遽、水野さんと私が告別式に参列させていただくことを決めました。


1月30日

 祭場など詳しい情報を得るために、長男の稔朗さんに連絡を取ろうとしましたが、なかなか取れず、9時を待って國ちゃんの会社(國ちゃんは会長、稔朗さんが社長)に電話を入れましたが稔朗さんにはつながらず、会社の方が「葬儀の詳細については、これから会議が行われるので、決定し次第お電話します」とのことでした。
 伝える会からは供花と弔電を送ることになり、手配は小川さんにお願いしました。
 14時、稔朗さんとやっと連絡が取れ、祭場は福岡県直方市にある「たかはし葬祭平成会館」で、告別式は12時からと判りました。福岡空港から直方市までが遠いので、前泊することになり、水野さんが飛行機の便と、宿泊先を予約してくださいました。


1月31日

 15:30水野さん宅にて合流。セントレア17:00着。
 早く着いたので19:00予定のフライトを18:10に変更しました。19:45福岡空港着。
 20:30東横イン博多口駅前ホテルにて泊。水野さんがお腹の調子が悪くて、食事ができないとのことで、私はコンビニで買った食品をホテルの部屋で食べ夕食としました。
 水野さんは体調が優れぬ中参加され、國ちゃんに対する想いの深さを感じました。


1月31日発行、西日本新聞記事



小説「氷壁」モデルの石原国利さん死去

作家井上靖の小説「氷壁」のモデルとなったナイロンザイル切断事故の当事者、石原国利(いしはら・くにとし)さんが29日午前6時10分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため福岡県篠栗町の病院で死去した。92歳。福岡県直方市出身。通夜と葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は長男稔朗(としろう)さん。
 1955年1月に北アルプスの前穂高岳東壁を登攀(とうはん)中にナイロンザイルが切れ、パートナーの1人が死亡。従来の麻製より強度があるとされるナイロン製でも岩の角で擦れた場合に切れやすい危険性があることを、現場での経験、実験結果を踏まえて訴えた。その後、国はザイルの安全基準を定めた。




中部国際空港(セントレア)にて



夕暮れ迫る飛行場

伊勢湾上空



福岡空港着陸

2月1日

  9:30、ホテルチェックアウト。
 10:03発、福北ゆたか線、快速直方行きにて直方へ。
 11:01、直方着。
 11:20、タクシ-にてたかはし葬祭平成会館新館着。

 國ちゃんとの最後の別れ…國ちゃんは即身仏のように痩せていられてショックで、しっかりお顔を見ることも出来ませんでした。
 征子さん(私の憧れの奥様です)、稔朗さんに挨拶の後、中川さん(元神戸大学教授)・尾登さん
(元テレビ西日本の社会部記者で定年退職後独立されて「映像工房K」運営)・重藤さん(山の図書館〔九州登山情報センタ-〕館長で理事長・日本山岳文化学会評議員)・西日本新聞社重川英介記者にご挨拶をした後、國ちゃんとナイロンザイル事件について取材を受けました。
 弔問客の中には澤田さんの奥様の顏もありました。
 12:00、開式。13:30終了。


國ちゃんがお住まいの篠栗駅を通過



直方駅の「大関魁皇」の像と

たかはし葬祭平成会館

供花

祭壇近くから「伝える会」「井上靖遺族一同」「日本山岳会」と並んでいました


祭壇の遺影と棺



会場内に展示された國ちゃんゆかりの品々


 

國ちゃん撮影の写真と説明書き

この写真は右のポスタ-になりました


2017年の上高地展示のポスタ-

1959年1月9日に奥又尾根で、遭難者救助に向かう岩稜会員を撮影した写真です
國ちゃんはこの写真がとても気にいって
いらっしゃいました
(上の写真をクリックしてください。上高地展示のペ-ジにご案内します)





ご家族の写真と『氷壁』



重川記者と

告別式



焼香の後、上映されたご家族とのビデオ

稔朗さんのご挨拶

國ちゃんのなくなった時のご様子が
克明に話されました


尾登さん製作のビデオの上映

2019年6月のケルン墓参の様子を
撮影された物です


ビデオの中の國ちゃん

ほとんどの参列者は國ちゃんと山の関わりをご存知ないようでした
この上映で國ちゃんが山を、どれほど愛されていたか、理解していただけたと思いました

上の写真をクリックしてください
2019年のケルン墓参の様子を記したペ-ジがご覧いただけます
その中で、この時上映されたビデオもご覧いただけます


お棺に入れる花が摘まれる



お別れの時






ご親族と

「あなた、目を開けてください」と何度も繰り返される征子さん
「お父さん、ありがとう。。。ありがとう」と涙ながらに語り掛ける稔朗さん
後ろに、映像を残される尾登さんの顔が見えます





稔朗さんの最後のご挨拶



お棺を送り出して



伝える会の弔電



 「石岡繁雄の志を伝える会」の顧問であり支えであった 石原國利様の悲報に接し、怖れていた日が来てしまったと言葉を失っております。
 前穂高東壁登攀以来の苦悩にあって、常に真実を訴え続けた國利様の強い精神は私たちの誇りです。
 國利様が亡くなられた1月29日は、『氷壁』の作家・ 井上靖先生の命日でもあります。『氷壁』執筆にあたって懇意になった井上先生との交遊は、その後も続きました。
その井上先生と同じ日に亡くなられたことに、深い縁を感じる次第です。
  國利様は、純真と知性と冷静の人でもありました。ですから、「石岡繁雄の志を伝える会」の精神的かつ知識的支柱として頼りにしてきました。私たちは大切な人を失いました。しかし今後も私たちの宝、尊敬する國ちゃんは、私たちの心に生き続けます。
 どうかこの先も見守ってください。深い感謝と共に安らかな旅立ちをお祈りいたします。
                         「石岡繁雄の志を伝える会」一同


 いくつかの定型の弔電が読まれる中、我が会の弔電は長いものでしたが、心のこもった言葉に聞き入る方々の姿が忘れられません。はつこさんの名文に感謝です。


 13:30、尾登さんの車に便乗してホテルまで送っていただきました。
 14:30、ホテル着。タクシ-にて福岡空港へ。
 15:30、空港にてランチ、うどんととろろご飯を賞味。食の町福岡まで来て、きちんと食べたのはこの一食だけでした。
 18:55発、セントレア行きでフライト。
 20:10、セントレア着。

 2018年9月に九州の岳人との交流の旅に出て以来、久々の九州でした。國ちゃんには「文書資料室の第二次公開が終わったら、必ずお会いしに行きますから、待っていてくだせさいね」とお話していたのに、こんなに辛い九州行きになるとは思ってもいませんでした。

この文字列をクリックしてください
「九州の岳人との交流の旅」のペ-ジにご案内します

 

福岡空港にて



福岡空港を飛び立つ




以下に、近年國ちゃんからいただいた書簡などを掲載いたします


2022年5月11日付
除幕式に鈴鹿市長・神戸高校校長をお招きするように提案された手紙




2022年8月17日付
石碑除幕式の出欠葉書

この時から國ちゃんの体調が優れず、心配していました


2022年9月14日付
伝える会会員宛 私からのメ-ル



 皆さま

  今、國ちゃんからお電話がありました。 除幕式においでになれなかったことを、とても残念がって「参加できなかったことお許しください。不義理をしてしまいました。会の皆さまにも、お電話もできなかったこと詫びて下さい」と仰ってみえました。
 その後「実は5日に娘の佳子が亡くなりました」とのことで、もう言葉もありませんでした。
失意の國ちゃんは「目先のことにばかりに囚われており、本当に申し訳なかった」と仰って。あまりのことにどうしていいやら…
 取敢えず、お伝えしておきます。

  あづみ



 國ちゃんの最愛の長女佳子さんは肝臓癌を患われており、6月のケルン墓参時に「治療に専念しておりましすが、もう長くないと思います。征子がこの頃ボケて来ており、そのことも解らなくなって良かったと思います。正気だったら耐えられなかったことでしょう」と仰られたことが思い出され、辛くて…。それでも尚、私たちに謝られる國ちゃんの律義さに圧倒される思いがしました。


9月29日付
お手紙No.1



9月29日付
お手紙No.2


2023年1月20日付
寒中見舞い

亡くなられたのは、このお葉書をいただいて間もなくのことだったので、信じられない思いでいっぱいでした

 

 國ちゃんから私は沢山のことを教えていただきましたが、その中に「人から何かしていただいた時には、必ず礼状を出してください。お手紙をいただいた時にも、お返事を書くようにしてください」と言う事がありました。その時から私は、教えを守って手紙やメ-ルなどには必ずお返事をするようにしています。
 國ちゃんからも沢山のお手紙をいただきましたが、ここ2~3年は「字が書きにくくなり、お返事もせずすいませんでした」と言うことが増えていました。
お葬儀の時に稔朗さんからお聞きしたことですが「父はああいう人でしたから、最後の最後まで書き物をしては、私に出して来てくれと言っていました」とのことで、左の寒中見舞いはそんな中書いてくださった物なのだと解り、改めて國ちゃんの律義さを思い知ることになりました。
 また稔朗さんは「姉が亡くなってから、父はガックリと弱ってしまったようでした」ともおっしゃっていました。
 上に掲載したお手紙の中に「石岡繁雄の志を伝える会の文化財団を設立する」と言う案を出してくださっています。これが最後の國ちゃんからの提案になるのだと思うと、そうしたい思いはあるのですが、伝える会会員も老齢化して、後を託せる若い人がいないため、財団を創ることは出来ないと思っています。
國ちゃんごめんなさい。。。

 

 1955年1月に起こった忌まわしい遭難事件から、早68年の歳月が流れました。
その事件を追求していくために、名古屋の家に國ちゃんが下宿された時、私はまだ3歳でした。その日から現在まで、どれだけお世話になったことか…
 特に父が亡くなった時には、征子さんが「あなたはお母さまも亡くされて一人になってしまったのだから、國ちゃんのことをお父さんだと思って、甘えてくださいね」とおっしゃり、それを聞いていらっしゃった國ちゃんが「お兄ちゃんだよ」と、悪戯っぽい笑顔をお見せになりながら言われたことが、しきりに思い出されます。
 父の資料整理をしている間も、解らないことがいっぱいで半泣きになっている私に「もっと近ければどんな協力もさせていただけたのに、申し訳ありません」と言われながらも、たくさんのことを教えて下さいました。
 2011年のケルン墓参からは、奥様と共に毎回参加してくださり、昨年6月の墓参にもご一緒してくださいました。
(この墓参についてのペ-ジにご案内します。この文字列をクリックしてください)
 國ちゃんとの思い出は尽きることがありません。

 國ちゃんは穏和な方でしたが、芯が強く知性に富み、私にとっては素晴らしい頼れるお兄ちゃんでした。國ちゃんと言う大きな後ろ盾を失って、今後どのように会を率いて行けばよいのか途方に暮れています。どうか拙い私をこれからも見守ってください。

 いつかは来ると思っていた別れでしたが、未だに九州には國ちゃんが居て下さるように思われてなりません。
 長い間本当にありがとうございました。心よりお礼を申し上げます。      合掌

                           2023年3月18日 あづみ記