| 奥又白ケルンへの納骨
 
 
 平成18年10月17日〜20日
 
 
 
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      | 10月1日、七七日の法要を終えました。その前々日、鈴鹿高専の事務の方がお見えになり、父に従四位と瑞宝小綬章を届けてくださいました。慌てて表装して七七日には親族にお披露目が出来ました。遺骨の大半も父の遺言で改造したお墓に、納骨しました。一つの区切りが終わりました。 父の遺言は二人で暮らした2年数ヶ月の間に口頭で伝えられました。本の事、仕事のこと、家のこと…多岐に亘りますが、その中の一つとして「五朗のケルンに母ちゃんの骨と一緒に、わしの遺骨も入れて欲しい」と言うのがありました。「七七日を過ぎたら行こう!」と思っていました。私のケルン納骨の話を伝え聞いた方々から「是非参加したい」と言う要望があり、岩稜会の方々も『バッカスを偲ぶ山行』を企画されていて「ご一緒に…」と言う事になりましたが、上高地は絶好の紅葉シ−ズンを迎え宿が取れず、皆様の期待に答えることが出来ませんでした。後日、行かれたい方々全員で『バッカスを偲び本の出版を喜ぶ会とケルン墓参の会』(今年6月9日に80名程の方々の参加で行うことが決まっています)を行うことをお約束して、ケルンへの納骨は親族と晩年の父の近親者だけで行く事になりました。また、岩稜会の方々は日をずらして20日から山に入られる事になりました。
 その時の穂高は例年にない好天に恵まれ、いっぱいの青空は父母が喜んで迎え入れてくれているようで・・・
 
 
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      | 10月17日13時上高地着 徳沢園に向かう
 
 
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 河童橋は人で溢れていました。
 
 
 
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 河童橋にて参加者の皆様と
 
 後列左より
 岩稜会の藤田さん(父にひたすら寄り添い晩年まで何かある度に手助けをしてくださいました)・元朝日新聞記者の相田さん(『石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実』の筆者です)・若山由利子さん(父の弟富夫叔父さんの長女で若山家の跡取りです)・柴田梓(姉です)・倉橋さん(豊田高専山岳部OBで卒業後も鈴鹿に足しげく通って、研究所の設計も手掛けてくださいました。新発意で今回は遺骨の管理をしてくださいました)
 
 下段左より
 野村さん(私の親友で15年程前から父の研究の手伝い、そして、晩年の父の介護も二人でやりました)・川角さん(豊田高専のOBで、33年前に出版された『屏風岩登攀記』の第二版の構成の手伝いをしてくださり、近年出版の『ザイルに導かれて』『石岡繁雄が語る・・・』の本の出版社<あるむ>の社長さんでもあります)
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 下段左端
 
 私です
 
 
 
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 穂高連峰をバックに
 
 右から二人目の私が抱えているバック(母愛用の物でした)には、父母のお骨が入っています
 
 
 
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 梓川左岸の道を紅葉の中、徳沢園に向かう
 明神岳を仰ぐ藤田さんと倉橋さん
 
 深編み笠に墨染めの衣に身を固めた倉橋さんはとにかく目立ちます
 道行く人々が振り返ります
 でも、自然の中を歩く姿はとても様になっていました
 
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 梓川のたもとで
 姉と私
 
 
 
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 梓川に下りられそうな場所を見つけた!
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 清流に身をよせて父母を想う
 
 
 
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 同場所にて記念撮影
 
 葬儀後、中々鈴鹿に来られなかった姉は
 上高地に着いてから遺骨の入ったバックを胸に抱いて手放しません
 
 「ヤッホ−!ヤッホ−!!
 お父さ〜ん お母さ〜ん・・・」
 
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 夕4時半徳沢園着
 
 紅葉に包まれた赤い屋根が夕日に映えて
 
 
 
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 徳沢園の前のテント場にて
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      | 10月18日朝9時徳沢園より奥又白ケルンへ
 
 
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 徳沢園の玄関
 
 徳沢園では社長の上條さんの奥様から大歓迎を受けました
 一行8名全員、御接待でした
 親の七光り、申し訳なく思いました
 
 
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 二階左角、徳沢園で泊めて頂いた部屋
 
 前穂高が一望出来る部屋を女性陣に貸してくださいました
 二階右に見えている窓が男性陣の泊まった部屋です
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      | 資料1.
 
    
 徳沢園のパンプレットより
 
 
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 新村橋にて
 
 出発前、予てからの打ち合わせ通り岩稜会の澤田さん(前穂高東壁へ五朗叔父さんと一緒に登っていらっしゃった方です。小説『氷壁』では二人で登っていた事になっていますが、実際は三人。澤田さんはあの事件の後、山岳救助隊として穂高の山々を見守り続けられました)と合流。一路ケルンへと向かいました。
 
 
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 新村橋を渡る
 
 姉の胸にしっかりと遺骨のバックが・・・
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 新村橋より前穂高を望む
 
 
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 梓川右岸より離れ奥又白谷を登る
 
 
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 登山初めての野村さんは「登れるかしら?」と心配しながらの参加でした
 その野村さんの嬉しそうなこと!
 
 
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 奥又白谷の出会いにて
 左端が澤田さん
 
 澤田さんから前穂高を仰ぎながら、当時のル−ト、五朗叔父さんの落ちた場所などの説明を聞きました
 『石岡繁雄が語る…』の本の貴重な資料になりました
 
 
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 ケルンにて
 
 相田さんと川角さんは本に使うケルンの写真を撮影するため、私たちを足止めして「いつもの様子を残したい」と言われ、しばしシャッタ−の音が響きました
 
 
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 ケルンにて
 
 ケルンを前に一息入れて・・・
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 納骨
 
 父母の喉仏を母の残した綿ロ−ンの白いハンカチに包んで姉と二人で納めました
 
 
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 納骨
 
 ケルンの何処に埋めようかと案じて、スコップまで持参して来ましたが、ケルンの石の一つが難なく外れ、中には、まるで待っていたかのように手頃な空間がありました。遺骨を納めた後その石を戻すと、苔むした石はケルンと同化して、何処に入れたのか全く判らなくなりました。
 五朗叔父さんは父母が来るのを50年以上、石に隙間を空けて待っていたのでしょう
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 倉橋さんが般若心経を唱えてくださいました
 
 
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 順にケルンに線香を上げ供養しました
 
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 帰り道、奥又白谷の出会いにて
 
 
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 梓川の右岸を下る
 
 ナナカマドの紅が美しい
 
 
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 上高地 明神館食堂にて
 
 昼食は澤田さんが予約してくださった場所で<岩魚の塩焼き定食>に舌鼓を打ちました。ご飯は大釜での炭火炊き、岩魚は地元での取れ立て大満足でした
 
 
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 明神館食堂にて
 
 納骨が終わり肩の荷が下り、ホッと一息です
 
 
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 上高地公園活動ステ-ションにて
 
 お仕事のある川角さん・藤田さんと姉を見送って、澤田さんの計らいでステ−ションに泊めていただきました。
 囲炉裏のある集会場が素敵でした
 
 
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      | 10月19日上高地公園活動ステ−ションより中の湯温泉へ
 
 
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 大正池にて
 
 朝、中の湯温泉に向かう途中大正池に立ち寄りました。
 空と山と紅葉が水に映り、この世のものとは思われぬ程の美しさでした。澤田さんによると、この時期のこの時間帯、しかも晴天の時にしか見られない光景で、とても運の良いことだそうです。
 「バッカスが見せてくれたんですね〜」ともおっしゃいました
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 鏡のような池にどちらが上なのか判らないほど鮮明に映る穂高の峰々
 
 
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 焼岳の紅葉
 
 
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 中の湯温泉にて
 
 お昼前皆様帰られ、野村さんと二人きりの慰労会をしました。のんびり温泉に浸かるのはどれだけ振りでしょう。
 母が亡くなってから鈴鹿での生活を支え続けてくれた親友野村さん。在りし日の父が「あづみは良い友達を持って幸せやナ〜」としみじみと言っていたことを思い出しました
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 中の湯温泉から穂高連峰を望む
 
 
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 翌8月20日。来たときとは逆に高山周りで帰路に着きました。気楽な女二人旅、思い付くままに休憩を取り、時間を掛けてお土産を選び、遺骨を抱いて来た時とは違い、身も心も軽い。ハンドルを握る手も軽やかに飛騨路を鈴鹿へと向かいました
 
 参加してくださった方々、お世話になった徳沢園の皆様、素敵な旅を有難う御座いました
 
 6月9日、また上高地でお会いしましょう
 
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      | 10月20日〜23日岩稜会<バッカスを偲ぶ山行>
 
 
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      | 1.
 
  
 紅葉の屏風岩
 
 | 2.
 
  
 涸沢にて
 岩稜会の皆様
 
 
 
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 残雪のある涸沢
 
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 パノラマコ−スから奥又白谷へ
 
 
 
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      | 5.
 
  
 ケルンにて
 
 | 6.
 
  
 涸沢より
 
 絵葉書のようなお写真
 
 
 
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      | 資料2.
 
  
 参加者の皆様から、色紙をいただきました
 
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 当初は私も連続で参加させていただくつもりでしたが、体力に自信がなく前半だけの参加にしました。
 
 遠く九州から参加してくださった石原さん・上岡さんご夫婦、東京からご参加の岩佐さん、新城からは山田さん、地元三重の毛塚さん・黒田さん・長谷川さん・森さん・湯浅さんご夫婦、涸沢ヒュッテのご主人小林さん、そして幹事をおやりくださった澤田さん。有難う御座いました。
 父母も喜んでいることと思います。
 
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      | 資料3.
 
  
 同行されたフリ−ライタ−の黒田麻由子さんが
 書かれた文章が掲載されました
 <バッカスを偲ぶ会山行>の様子が書かれています
 ご覧下さい
 
 
 | 資料3-1
 
  
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      | 資料3-2
 
  | 資料3-3
 
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      | 資料3-4
 
  | 資料3-5
 
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